学生運動を知らない若者(?)たち | peroの根無し放浪渡世日記

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バックパッカーで旅仲間からはperoと呼ばれています。金融業➡︎探偵➡︎通信関係➡︎エセ小説家。東京に単身移転後16年余り暮らし、2022年6月に故郷・和歌山へ。妻が他界して8年以上も経つのにまだ生きている。藤井弘司としての著書が数冊有り、密かに文学賞を狙ってます(笑)

こんばんは~、俳人(廃人)Peroです。


今日は仕事中に後頭部が痛み出し、血管も痛かった、これはいけません。

 

職場では、学生運動について若い衆が、といっても、もう三十代四十代なのだが、適当な意見を背後で述べていたので、お節介だがチョイと昔の話を伝えてみた。

 

「国会前のデモの数って、発表五千人とか三千人とかあっても、実際は三分の一や五分の一程度ですよね、しかも共産党の扇動とかじゃないんですかね?」

 

「もう今じゃ革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義同盟)とか中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)なんて、サッパリですね」

 

な~んてことを言っていたよ。

 

今は時代が違うと言ってしまえば、フーテンの寅さんよろしく「それを言っちゃあお終いよ~」だが、日本が日米安保や沖縄返還や大学の授業料値上げなどの問題をはじめ、昔は貧乏学生が多かったので、政治に満足していないばかりか反体制の考えが支配的だった。

 

自分の確固とした考え、思想を持たない大学生は、「ノンポリ」とかレッテルを張られて、一気に土俵の外にはじき出されてしまったわけだ。  

 

僕が大学生のころは、一応は学生運動のピークは越えていたが、もちろんまだ学内では革マル派と中核派の殺し合いも行われていたよ。


京都の立命館大生、高野悦子さんが学生運動と恋愛や人生に苦悩しながら、果ては鉄道自殺し、彼女の日記が「二十歳の原点」として出版されベストセラーになったのは、僕が高校生の頃だった。

 

六十年安保闘争では、国会に突入した際に、東大生の樺美智子さんが死亡、この事件については様々な見解と落合某のようなヘンテコな意見もあるが、ともかく当時の学生は大変だった。

 

詳しくはここで書いても仕方がないので述べないが、今日職場で上述のような会話を聞いて、「昔のデモ隊は凄かったんやで~。もう千人単位とかじゃなく万人でっせ、まったく、ホンマでっせ!」と、ついつい後ろを向いて言ってしまったよ。

 

以下の楽曲は、当時ヒットした曲ですが、実際この動画にあるようだったんですよ。

 

若い人は参考にこの曲と画像をご覧ください、曲の真ん中過ぎあたりの画像が事実を物語っています、今の国会前デモとは桁違いです。

 

 

 

 

え~、そんなに国会前に集まれるんですか?って言うので、「何を言うてマンネン、亀は千年、国会前から日比谷公園辺りまでズズイ~っとデモ隊がギッシリやったんや」と説明、ふたりとも仰天してましたわ。

 

仰天はちょっとオーバーだけどね、まあそんな平和というか、暇というか、職場のワンシーンでした。

 

さて、明日一日出勤して、明後日から毎年恒例の伊豆の旅ですな。

 

唐人お吉さんのお墓にもお参りしないとね。