本日、3/17はアイルランドの守護聖人、聖パトリックの日です。
NYなんかでもアイリッシュ系の人たちがナショナルカラーの緑を身に付けてパレードするのが、日本でも有名ですかね。
そんなSt. Patrick's Dayですが、私が好きだったアイルランド人の元アイドル、スティーヴンの誕生日でした。
なぜ過去形かと言うと、スティーヴンは2009年10月10日に、バカンスを過ごしていたスペインのマヨルカ島で急死したからです。
享年33歳です。
スティーヴン・ゲイトリー
Stephen Gately
(1976年3月17日-2009年10月10日)
スティーヴンは1993年にデビューし、本国アイルランドとイギリスで人気のあったボーイズグループBOYZONE(ボーイゾーン)のメンバーで、メインボーカル2人のうちの1人でした。
↑金髪のローナンが一番年下でしたが、1つ上のスティーヴンがメンバーの中で一番背が低く、弟的存在というか、可愛い子ちゃんポジションでした。
アヒル口で、衣装は常に萌え袖、萌え裾(笑)
本国アイルランドとイギリス以外では人気はそれほどでもなかったボーイゾーン。日本でも2ndアルバム発売のタイミングで来日してライブをやったくらいです。
そんな彼らの最大のヒット曲は世界のアンドリュー・ロイド=ウェッバー卿が手掛けた"No Matter What"
「ジーザス・クラスト=スーパースター」「キャッツ」「エビ-タ」「オペラ座の怪人」などなど、挙げたらキリがないくらいの名作ミュージカルの作曲家です!もうすご過ぎて、「Sir(サー)」の上の「Lord(ロード)」の称号を持ってるらしいです。
そんな大先生から、新作ミュージカルのタイトル曲に大抜擢されたボーイゾーン
大先生の生誕50周年を記念して開かれた、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの超超豪華な一夜限りのコンサートでも歌いましたが、この時のスティーブンが激カワです
この曲でパバロッティと競演したりと、彼らにとっては転機になった曲で、日本でもボーイゾーンの曲として、唯一カラオケに入っています。
さて、順調に活動していた彼らですが、1999年イギリスの大衆紙ザ・サンの一面にてスティーヴンがゲイであることをカミングアウトしました。
そりゃもう、イギリスは大騒ぎです。日本の英字新聞でも、小さくですが記事が取り上げられたくらいでした。いくら日本よりもオープンなヨーロッパとは言え、当時は現役のアイドルがカミングアウトするなんて、異例中の異例で、本当はスティーヴンもカミングアウトするつもりはなかったけど、元ボディガードだかが新聞社にタレ込んだのを受けて、自分から告白することを決めたというのが真相のようです。
でも、もちろんファンはスティーヴンを支持し、ティーン雑誌でその年のHero of The Yearに選ばれるなど、その後のスティーヴンは本当に幸せそうでした。ゲイ雑誌の表紙を可愛らしく飾っちゃったりして↓
2000年頃からローナンがソロ活動を始めたことにより、ボーイゾーンが活動休止状態になります。スティーヴンもソロアルバムを出したりしましたが、その後ミュージカルに進出。
アンドリュー・ロイド=ウェッバー大先生のミュージカル「ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」の主役に抜擢され、なぜか最初がリバプール公演だったので、2002年12月、ワタクシ寒風吹きすさぶリバプールまで行きました(笑)それまで、ウェンブリー・アリーナとかで豆粒でしか観たことなかったスティーヴンを劇場の小さい会場で観て、それはそれはリバプールまで行ったかいがあったってもんでした。とりあえず観光で鄙びたビートルズ博物館なんかも行きましたが、あんなことでもなけりゃリバプールなんて一生行かないと思います(笑)
年が明けて、ロンドンのウェストエンドでも上演されましたが、さすがにそれは観に行けませんでした。
その後、ミュージカルやTVに出たりの活躍をしながら、2003年エルトン・ジョンとそのボーイフレンドの紹介で知り合ったアンドリューとラスベガスで式を挙げ、2006年には結婚しました。
そして2008年にボーイゾーンが再結成し、コンサート活動を再開。私もイギリスにコンサートを観に行きたいと思っていた矢先、スティーヴンが急死したのです。
活動再開後、初のアルバムのレコーディイングに入ったところでした。
残された4人のメンバーがスティーヴンの棺を運び、ローナンが弔辞を読む葬儀の模様がBBCのニュースで配信されるのをネットで見ましたが、とてもとても信じられませんでした。
スティーヴンが亡くなる直前にレコーディングしていた曲が2曲入ったアルバム「Brother」が2010年3月に発売となり、イギリスとアイルランドで1位を記録。
1曲目のGave it all awayでは、スティーヴンの歌う歌詞に「僕が死ぬ前に…」というフレーズが入っていて、愕然としました。
まるで彼の死を予言していたかのようで、泣けます(T^T)
日本では、去年の震災で多くの方が亡くなり、命というものを改めて考えさせられた1年でした。
大切な人を失って、またその人に会いたいって思うことは、自分が死というものに向かいあったとき、その恐怖をちょっとだけ和らげるものなのかなぁ、とか思ってみたり…
とにかく残された私たちは、悔いなく精一杯生きる!
3月17日という日に、そんなことを考えつつ、スティーヴンのことを思い出してみました。
iPhoneからの投稿
NYなんかでもアイリッシュ系の人たちがナショナルカラーの緑を身に付けてパレードするのが、日本でも有名ですかね。
そんなSt. Patrick's Dayですが、私が好きだったアイルランド人の元アイドル、スティーヴンの誕生日でした。
なぜ過去形かと言うと、スティーヴンは2009年10月10日に、バカンスを過ごしていたスペインのマヨルカ島で急死したからです。
享年33歳です。
スティーヴン・ゲイトリー
Stephen Gately
(1976年3月17日-2009年10月10日)
スティーヴンは1993年にデビューし、本国アイルランドとイギリスで人気のあったボーイズグループBOYZONE(ボーイゾーン)のメンバーで、メインボーカル2人のうちの1人でした。
↑金髪のローナンが一番年下でしたが、1つ上のスティーヴンがメンバーの中で一番背が低く、弟的存在というか、可愛い子ちゃんポジションでした。
アヒル口で、衣装は常に萌え袖、萌え裾(笑)
本国アイルランドとイギリス以外では人気はそれほどでもなかったボーイゾーン。日本でも2ndアルバム発売のタイミングで来日してライブをやったくらいです。
そんな彼らの最大のヒット曲は世界のアンドリュー・ロイド=ウェッバー卿が手掛けた"No Matter What"
「ジーザス・クラスト=スーパースター」「キャッツ」「エビ-タ」「オペラ座の怪人」などなど、挙げたらキリがないくらいの名作ミュージカルの作曲家です!もうすご過ぎて、「Sir(サー)」の上の「Lord(ロード)」の称号を持ってるらしいです。
そんな大先生から、新作ミュージカルのタイトル曲に大抜擢されたボーイゾーン
大先生の生誕50周年を記念して開かれた、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの超超豪華な一夜限りのコンサートでも歌いましたが、この時のスティーブンが激カワです
この曲でパバロッティと競演したりと、彼らにとっては転機になった曲で、日本でもボーイゾーンの曲として、唯一カラオケに入っています。
さて、順調に活動していた彼らですが、1999年イギリスの大衆紙ザ・サンの一面にてスティーヴンがゲイであることをカミングアウトしました。
そりゃもう、イギリスは大騒ぎです。日本の英字新聞でも、小さくですが記事が取り上げられたくらいでした。いくら日本よりもオープンなヨーロッパとは言え、当時は現役のアイドルがカミングアウトするなんて、異例中の異例で、本当はスティーヴンもカミングアウトするつもりはなかったけど、元ボディガードだかが新聞社にタレ込んだのを受けて、自分から告白することを決めたというのが真相のようです。
でも、もちろんファンはスティーヴンを支持し、ティーン雑誌でその年のHero of The Yearに選ばれるなど、その後のスティーヴンは本当に幸せそうでした。ゲイ雑誌の表紙を可愛らしく飾っちゃったりして↓
2000年頃からローナンがソロ活動を始めたことにより、ボーイゾーンが活動休止状態になります。スティーヴンもソロアルバムを出したりしましたが、その後ミュージカルに進出。
アンドリュー・ロイド=ウェッバー大先生のミュージカル「ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」の主役に抜擢され、なぜか最初がリバプール公演だったので、2002年12月、ワタクシ寒風吹きすさぶリバプールまで行きました(笑)それまで、ウェンブリー・アリーナとかで豆粒でしか観たことなかったスティーヴンを劇場の小さい会場で観て、それはそれはリバプールまで行ったかいがあったってもんでした。とりあえず観光で鄙びたビートルズ博物館なんかも行きましたが、あんなことでもなけりゃリバプールなんて一生行かないと思います(笑)
年が明けて、ロンドンのウェストエンドでも上演されましたが、さすがにそれは観に行けませんでした。
その後、ミュージカルやTVに出たりの活躍をしながら、2003年エルトン・ジョンとそのボーイフレンドの紹介で知り合ったアンドリューとラスベガスで式を挙げ、2006年には結婚しました。
そして2008年にボーイゾーンが再結成し、コンサート活動を再開。私もイギリスにコンサートを観に行きたいと思っていた矢先、スティーヴンが急死したのです。
活動再開後、初のアルバムのレコーディイングに入ったところでした。
残された4人のメンバーがスティーヴンの棺を運び、ローナンが弔辞を読む葬儀の模様がBBCのニュースで配信されるのをネットで見ましたが、とてもとても信じられませんでした。
スティーヴンが亡くなる直前にレコーディングしていた曲が2曲入ったアルバム「Brother」が2010年3月に発売となり、イギリスとアイルランドで1位を記録。
1曲目のGave it all awayでは、スティーヴンの歌う歌詞に「僕が死ぬ前に…」というフレーズが入っていて、愕然としました。
まるで彼の死を予言していたかのようで、泣けます(T^T)
日本では、去年の震災で多くの方が亡くなり、命というものを改めて考えさせられた1年でした。
大切な人を失って、またその人に会いたいって思うことは、自分が死というものに向かいあったとき、その恐怖をちょっとだけ和らげるものなのかなぁ、とか思ってみたり…
とにかく残された私たちは、悔いなく精一杯生きる!
3月17日という日に、そんなことを考えつつ、スティーヴンのことを思い出してみました。
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