わたしはロランス | PEROの映画狂人日記

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町山智浩様を神と崇め、ライムスター宇多丸先生を師とするサブカル重症腐女子がヒマつぶしで見ていた映画の数が年に200本を超えて来たので、
これだけ見てるゾという自慢と自己顕示欲を満足させる為だけの映画日記ですがよかったら暇つぶしに。



私の通っていた高校は変わった校風で有名で、たまに特別講師を呼んで話を聞く授業などがあった。その講師は、膝丈スカートのスーツ姿で教壇にいた。化粧していても、お世辞にも美しいとは言えないその人はどこからどう見ても男の人だった。
「私はロランス」を見て15年以上も前に講義を聞いた彼(彼女?)を思い出した。その人が何を話したかはうろ覚えだけれど、彼(彼女?)のパートナーも女性だと言う一言はハッキリと覚えている。
私は耳年増でゲイやバイがどういうものか知っていたけれど、90年代にはまだ性同一性障害、トランスジェンダーなんて言葉は浸透していない時代だった。そう言う人達はおかま、ニューハーフと呼ばれテレビで見る特別な存在だった。
高校生の私は女の人になりたい男の人は男が好きな人だけだと思っていたので、女の人と付き合っていると聞いてビックリして記憶に残っているのだと思う。
その当時まだ本当に人を好きになる、尊敬し合って付き合う、愛し合うという行為すら知らなかった私にはその彼(彼女?)らの付き合いがどういう物だったのか全く想像出来なかった。

「私はロランス」はこのまま行けば結婚もなんて言う雰囲気のカップルの彼氏ロランスが突然、実は女になりたいんだと告白する事から始まる。それを聞いた彼女のフレッドは葛藤するがロランスと付き合っていく事を決意する。周囲の好奇の目、彼と付き合っていく事である決意をし精神的に崩壊していくフレッド。その繊細な心の動きを若干24歳(!)のグザヴィエ・・ドランは見事な手腕で描いている。
私は見るまで監督が24歳とは知らなかったのだけど、なぜ彼は24歳でこの作品を撮れたのか彼のプロフィールを見ると分かる気がする。6歳から子役としてデビュー、母親との複雑な確執、自分がゲイであるという事実。彼は早い時期に大人になるしか無かった。
ドランは監督、脚本、プロデューサー、出演、編集、衣装、アートディレクションをすべて自分でこなせる多彩な人物。
「わたしはロランス」ではビジュアルコンセプトやカメラにベテランを迎えたとインタビューでは答えていたが、それは彼の作家性を薄めるのではなくより濃く深くしたと思う。なぜならどんどんとゆらいでいく二人の関係を完璧な映像の美しさ演出で見せているから。
カナダの恐るべき子供、グザヴィエ・ドラン、これからが楽しみな監督が一人増えて嬉しい。





それでは今日はこの辺で、さよなら、さよなら、さよなら。