周りにいてくれる自分以外に対する不平不満を言いまくっても、中心にいる自分には何も満足は生まれない、そう感じます



不平不満を言いまくって、それでしあわせって人もいるのかな?


わたしはそうは成りたくありません



SNSをながら見していたらある企業の社長さんが「責任を背負うほど自由がある」と言った言葉が飛び込んできました

この社長さん、わたしと生年月日に使われている数字が全部一緒で生年と月日でそれぞれ組み合わせ違い、勝手にご縁を感じています


わたしも常々、責任を背負うと同時に自由を手に入れていると考えていたので「そうそう」と同感



この言葉だけが耳に残ったので話の意図はよくわかっていませんが、、



わたしは、責任を持つ場は人それぞれ、企業しましょうって話ではなく、それぞれの場所で「独り立ち」することだと思います


よく言う「自分軸」なんかもそれに当たるように思います



会社員を辞め小さいながらも店主となることを選択したら、不平不満の世界が薄れていった

元々それほど言うタイプではなかったから発信することはなかったけど、耳にすることも減っていった


その分、反省や感謝は増えました



ちょっと前に書いた「袋」の話につながるものもあるかも



不平不満を言いたくなっちゃう時、愚痴が多かったらノートにだぁーーーっと書き出してみたり


読み返してみると違った感情が湧いてくるかもです



特に友だちなどに愚痴を聞いてもらうことが多い時、自分自身の感情を整理するだけでなく、聞いてくれる人の気持ちも感じることができます



不平不満の先にあるのが心体の「不調和」であり、不調和の先にあるのが現象「不平不満」や「負の出来事」



どちらが先かは鶏か卵の話しだけど、「不調和」

と「不平不満」は関係し合っていると考えています



自分自身を起点とするなら「不調和」が先にあるとも思います



そのもっと深い起点を探っていくと、ご先祖さまやDNAだったり細胞だったり、視えない何かだったりに不調和を解決するヒントが隠れていることもあれば、生年月日や氏名にも印が刻まれ隠されていたりします



だから、調和を願うと占いや信仰に意識が向くのかも知れません



どこかのタイミングで自分自身を整理することは人生のバイオリズムを知ることにもつながるので、「負」「不」を回避できるようにもなります



自分の設計図を知り活かすこと、与えられた心体を存分に生きるためのケア、この2つは「責任と自由」に大きく作用すると考えています



そんなタイミングにおすすめのメニューが占星術とセラピーの「たまゆらツインセッション」


設計図を紐解き、心体の負荷をおろすセッションです





http://satchanchi.com


設計図を紐解き見つかった課題は責任


課題解決は自由への扉


責任と自由でピーンっとこちらが浮かびました

ピーンっときたらぜひ!