テレビが壊れたら観ないからモニターだけ買おうか、なんて話をして早10年くらい


テレビを自らつけることをしなくなって5年くらい、なので壊れない


置くことが洗脳装置だ、なんて話しも耳にしますが、スマホやパソコンが当たり前な今、洗脳装置はテレビだけではないですしね



付き合い方が大事だと思っています



面白い番組もありますしね



でも、垂れ流しにテレビを観なくなると、何かと客観的に俯瞰して物事が見えてくるようには感じます



情報が入ってこなければ目の前で起きることだけに反応できるので、感情が迷子になりにくい



外からの情報には必ずと言ってよいほど善悪が乗ってくる

それは個人の振り分けではなく、何者かが振り分けた物が当たり前のように放送されているように感じます



みんなの「こうしたらより良くなるよ」が純粋なものとも限らず、ある一定の方向へ仕向けるための策士の「こっちが良いよ」が溢れているとも感じます



最近は「どうせ道は決まってるんでしょ」なんて冷めて見てしまったり、対局しているようで「どちらも同じ穴のムジナなのでは」とも思ってしまう



外の世界で起きていることは、自分自身の中でも起きているはず



起きた物事を受け流しシンプルに生きることができれば、自分自身もシンプルになるけど、起きていることの「理」を探求しすぎることは混乱を招くことにつながる場合もあるように感じます



今、もし外の世界に何らかな問題を感じているなら、自分自身の中を紐解くことが先かなぁ〜



問題は人生の課題みたいなもの

他者には解けないけど他者がヒントを与えてくれるはず



「川の流れのように」





それがクリア出来たら、一つ外の紐解きへ

絡まった糸を解くような根気がいる作業ですよ



そして、自分自身の得意分野でできる範囲で動いていく



そんなことを改めて思った夏至前後でした



久しぶりに夏至前後は調子を崩し二日ほど使いものにならず、、

十数年ぶりくらいに金縛りに二日連続あいました、、


昔はすごく怖かったけど、全く怖さはなく冷静でいられたのは図太くなったのかしら