社会の争いごと、夫婦喧嘩、親子喧嘩、事の大きさや感じ方は様々ですが、社会、肉体、精神ともに不調の要因の一つに関係不和があるように思います


どっちが先かは鶏たまごな感じだけど、、



大概、喧嘩になると自分は棚に上げて相手のせいにします



根に持つとずっと愚痴が止まらなくなり、周りに撒き散らす人もいる



その時に相手のことを思いやる気持ちはないことが多いし、そんな余裕はなく怒りが先行していると思います



必要に出る怒りなので悪気はないと思いますが、人が触れ合う時、相手をたいせつに思ったり、一人一人の価値を感じ互いに興味を持つことで、お互いを尊重し合うと喧嘩にはなりません



尊重し合ってこそ縁が丸く治ってと思います



そして、そこには喧嘩は生まれない

例え、思いや考えの食い違いがあっても喧嘩ではなく話し合いになることで意見交換が行われるように感じます



喧嘩は一方的な念の飛ばし合い

飛ばした攻撃的な念(思い)で相手から気を奪い、それは自分にはね返ってくる



尊重は相互の循環

飛ばした尊重の念(思い)も循環、循環はしあわせの拡大



喧嘩の元となるような言動も相手を尊重していたら、受け取り方も変わったりします



どんなに自由奔放に好き勝手してるように見えても許される人って周りにいませんか?



何が違うんだろう?



そんなところにヒントがあったりします



どんな人であっても一分先のことはわかりません



肉体があってこそ出来ることは肉体がある間に治めておくことで、調和へ向かっていけると思っています



優しさや穏やかさは強さでもあり、どんな人に対しても尊重できる人は許容範囲も広いように感じます



喧嘩両成敗



争いは両方に原因があること

相手を責めるだけではなく自らも省みることが必要だと感じます



気づいたら、気づいた方から相手を尊重する



そこに行き着くまでには一度爆発する必要がある場合もあるから、喧嘩も必然



終わりよければすべて善!




先月行った鳥取駅前の麒麟獅子舞


人々に幸福をもたらす石像らしいです