自分にとって必要だと考えて懸命に取り組んでいても、眠気が差してくる対象がある。これは、自分の心身が、「実はそれは不要だよ。合わないことだよ」と教えてくれているのかもしれない。
学生のころの試験勉強などは、ある意味仕方がない。これは、現状がいい悪いは別にして、システム上クリアしなければ前に進めないから、否が応でもやるしかない(将来、システムの改革をするという覇気と実行力があれば、それも凄いことかもしれない。)
しかし、自ら積極的に取り組む対象を決めるときは、自身の深部にあるものに従った方がいい。自分の不得意なものを何とかクリアし、及第点をもらうというのも、一つの生き方かもしれないが、人生の時間は有限である。得手を極めるという方向性の方が、自身の効率性という微視的な話だけでなく、社会全体として考えても有益なのではなかろうか。