文法 単語 どちらが先 | 美容皮膚科医の日常ーペルラクリニック神宮前院長 本田淳

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先日TVで、人間の言語体系において、単語が先に生まれたのか、文法が先か?というテーマで検証がなされていました。


普通に考えれば、原初の昔、単語が先に生まれ、それを有効に伝えるため文法が自然発生的に生まれた、と考えがちですが・・・実際は、言語学の世界では、単語派と文法派に分かれ、熱い討論がなされているようです。


単語が先という説は、直感的に理解できますが、文法が先という学者の方は、鳥の求愛の囀り(歌)に音楽性、つまりある種の規則性=文法があると主張し、この音楽の中にある定型パターンの塊をバラバラにしたものが、単語として認識されるに至った、と論を進めているようです。


鳥と人間を一緒に考えるというのはどうか?・・・と、出演者も疑問を呈していましたが、人間の赤ちゃんが言語を獲得していく過程を考えると、文法が先というのも、あながち奇論ではないのではないかと思えてきます


私は専門外なので詳しいことはわかりませんが、communicative musicality(コミュニケーション的音楽性)という理論があるそうです。そして、この理論によれば、赤ちゃんは、言葉(単語)を覚える以前に、「あ~あ~」とか「う~」とか、一般には意味をなさないと思われる「音」の連続体のパターンによって、母親とコミュニケーションをとっているというのです。あまりに秘めやかに行われ、そして微笑ましい風景ですが、確かに言われてみれば・・・・・


しかし、このような情景まで学問的に切り取ってしまう、学者の認識力も凄まじいものですね。


さて、この論争は、どちらに軍配があがるか興味があるところですが、読者の方はどう思われますか?


①まず物や概念に「単語」という記号が授けられ(少なくともある地域性をもった範囲で、共通の音が与えられることが前提ですよね)、そして、それらをある規則性をもって組み合わせることにより、コミュニケーションをとるようになった。



②よく使われる定型文(定型の音のパターン)のようなものが自然発生し、それがいつの間にか、ある集団で意味のコンセンサスが得られて、習慣的に意思のコミュニケーションに用いられるようになった。そして、それが細分化されて単語というものが認識されるようになった。



①も②も、そのようなコミュニケーションツールが、いったん動き出せば、単語と文法の相互作用により、言語体系が連続的に発展することは同様でしょうが・・・