高度な国家意思


 現在の政治や外交は、「高度な国家意思」だそうな…(笑)
 引用してもらえるだけ光栄と思わなければいけないのではないでしょうか? 鳩山隊長殿。
 真に高度な判断というのであれば幸いですが、苦し紛れの、アメリカの寛容さに依存した、責任の一時逃れの、低レベルな発言だったのではないのでしょうか?
 すぐに「現場の指揮官ごとき」という発言が出てきますが、歴史というのは振り返りが重要で、ことごとく負担がかかるのは現場の指揮官であり、過去に国家を壊滅させたのは現場ではなく、昭和期の政治家及び高級官僚の不手際でしょう。高級な判断などあったためしがない。

 抗命でもなく、批判でもない、ましてや政治的発言でもない、単なる意見を、このように政権が神経系の病でもあるかのうように一々癇に障っているような対応になる理由はなんなのでしょう? このような反応自体、政権自らが不適切な判断であったことを露呈させているようなものなのでは? もっと真摯に-現場がそういう反応をする要因はなんなのか、政権交代及びその一連の国防に対する発言が士気の低下を招いてはいないか、など-対応してみてもよいのでは。

 いつも、誰でも言葉だけは聞いたことがある「シビリアンコントロールの立場から」という御題目だけがまず存在するのであるが、いまひとつどのような国民的な理解があるのか良くわからない。現在のシビリアンコントロールというものが、このような発言権も封じることであるという理解が正確であるのかどうか? シビリアンコントロールとは現在の自衛隊では、軍事に対する政治的な「優先」と言う程度の理解であり、平時としては組織的な命令系統、予算、人事くらいのものであり、せいぜい政治活動をしないくらいの認識ではなかろうか?

 もっとも、国民に出せもしない札束を見せつけ政権を奪取し、日本国民の象徴たる天皇を私物化しようとするような発言を繰り返し、天皇や国民の心を邪推したような同じパターンの発言(記者の問いに「天皇も、国民も、理解されるはずだ」のような…)を繰り返し、自らも金権に塗れている民主党独裁政権は、自衛隊員の発言一切も許さないのかも。

「信頼で同盟維持できず」発言、陸自幹部処分へ (2010年2月12日13時13分 読売新聞より引用)

 北沢防衛相は12日午前の閣議後の記者会見で、陸上自衛隊の幹部が10日、鳩山政権の日米同盟への取り組みに批判的な発言をしたことを明らかにし、「現場の指揮官が政治や外交という高度な国家意思に言及している部分もある。何らかの処置をするつもりだ」と述べ、処分する意向を示した。


 問題の発言は、陸自第44普通科連隊長の中沢剛1等陸佐が10日に宮城県で始まった日米共同訓練開始式での訓示で、「同盟は、外交や政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、ましてや『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものでもない」と述べたものだ。

 北沢防衛相は「最高指揮官の言葉を引き合いに出している」と述べ、鳩山首相が昨年、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題に関し、オバマ大統領に「私を信頼してほしい」と伝えたことを念頭に置いた発言という見方を示した。陸上幕僚監部広報室は「首相の発言を引用したり、批判したりしたわけではない」としている。