ウエサク満月が迫っていますね😊


スピリチュアルに無関心な友達が不意に
「過去生ってものが、あるのかないのかと自問自答している🤔」と話題にしてきました。

精神世界に興味ない人にとって、過去生は疑わしいものにみえるようです。

そんな友に、私の過去生の話を熱く語ってしまいましたので、今日は私の過去生のことを呟いてみます。


この記事は、ただの自己回顧録です。





ヒマラヤに生きていた時代があります。


山の中腹にある洞窟に独りで住むシャーマンでした。




洞窟の南面には向かいの山脈があり、

その頂の雪が太陽に照らされて輝く朝が好きでした。



雲がないと眩しいくらいに白く輝き

青空とのコントラストがとても美しいのです。 




右手側の山と、



その麓には湖があり、



そして川沿いに集落があります。

集落の人々は知り合いばかりです。



ヒマラヤの山奥ですが交易の道があり、

この集落のみならず遠方からも私を訪ねて険しい急斜面を登ってくる人々がいました。



この洞窟で私は日々を

瞑想に費やし、

内省し、

祈り、

訪問者にはシャーマンとして必要なことをして暮らしていました。



当時の私は今生の私では到底及ばないような、キレキレのサイキッカーで、ある方法を使いホログラムをみるようにして物事を明確に観ることができます。


因みに、「みることができる」のは記憶しているのですが、「どうしたらみえるのか」は今の私にはわかりません😭



雄大な自然と自己との対話のみに集中できる、とても豊かなこの洞窟は、

集落から離れ、

俗世のエネルギーを避け、

瞑想内省祈りにはちょうどいい場です。


⛰️⛰️⛰️


様々な過去生があるなか、ヒマラヤの記憶が他の時代よりも幾分クリアに記憶しているのは、

今生の私に必要な情報だと理解しています。



過去生の記憶は、必要でなければ見せてもらえない、記憶がない方がよいならば見ることはないと思います。




ではなぜ、いまだに私はヒマラヤのシャーマンの記憶を時々思い出しては魂が震えるのでしょうか。




その時代、わたしはある人の魂をなぐさめることを試みていましたが、成就しませんでした。

それをやり残して洞窟で亡くなりました。


生まれ変わった今生でも供養の続きがしたかったから、更にはそれを越えていきたかったから記憶が浮上したのだと思っています。


それは、過去への感傷に浸ることでもなく

留まることではなく、戻ることでもない。

統合への道です。





ヒマラヤの輝きと空気、そして住んでいた洞窟に時々意識を合わせてみると心地よく胸が高鳴ります。

当時のわたしは、未来のわたしが意識を飛ばして訪問していること、未来からの訪問者である私を捉えているはずです。

それはNewEraセッションとして、今の私に活かされています。


今の私ならヒマラヤのわたしに助言できることがあったからです。




⛰️✨⛰️✨⛰️





このような個人的な記憶を

「ただの妄想や思い込みだ」と片付けてしまわないようにでしょうか、

ヒマラヤガイドをしていた友人を通じて、この珍しい場所の写真と動画が手元にやってきました。



高次は私に真実と確信を示してくれたのです。


このことが、私にとって否定しようがない事実となり、今のシゴトにコミットするひとつの強い動機となりました。

 



私の住んでいた洞窟は今、寺院になっており、

Google earthでその場所を探せば

当然ですが、ちゃんと(?)寺院として存在していました。


在住する僧侶がいるのかしら?

なんとも複雑な気持ちになります。



ここは私を構成し、ヒーリングに駆り立てる場のひとつとして、とても大事な場所です。



私たちには過去生も現生も未来生もあり

それはイマココに集約されます。





そんな話を語ったのです。


友は

「本当に記憶がある人っているんだぁ」

と、感心していましたが、

私たちはただ忘れているだけで過去も未来もあります。

憶えていない事も恩恵です。



無理に思い出したり知る必要はありません。

魂は憶えています。



自分自身の心に正直でいることは

全ての自分のエッセンスへのパス(道)です。



今回のこの時代と、この体は

ここだけのものですが、

全ては繋がっていて、関連し

私たちは生かされていて補いあっています。