~究極コミュニケーション論~
リアルプレゼント 第13回
【いじめなどに絶対負けない知恵と技術】
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「リアルプレゼント」とは、私たちの世界を変えたい人の、つまり本当の現実を生きるあなたのための贈り物。
この究極のコミュニケーション力に通じた人なら、世界を変えられる。
もうあなたはひとりではありません。
例えひとりでも、世界に向かって戦える!!
これからは、何をすれば良いか悩まなくて済みます。リアルプレゼントが本当の現実の考え方を教えてくれます。
関わっても意味の無いいじめなどを苦にする時間も、もういりません。
そして、そうなってもらうために、究極のコミュニケーション力を伝えたい。
これは、きれいごとや気やすめに終わる類のメッセージではなく本当にあなたを救う、現実の贈り物。
それが究極コミュニケーションを伝えるリアルプレゼントです。
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「きっと、そうだよ」の効き目
いじめなどの場合、何かにつけ悪意の決めつけをして来る人は出て来る。
いじめの場面などでは、特に、悪意の理由があるからやるというより、おもしろおかしくてやっている。
その場面を、自分の勝利と思って、あるいは、ただ当たり前の権利だと思っているので、その態度が単純に表に出ている。
こういう人間が態度を変えるのは、見つかったら困るのがわかった時だ。そして言い訳をする時は、たいがいすべてひっくり返そうとするので、「おまえが思うほど単純じゃないんだよ」とか言って、自分のバツの悪さにあらかじめ蓋をする。
この手のズルさは、ありふれたものでもあって、精神がある状態になってしまうと誰でもできるやり口を使っているのです。
理解の難しい頭を持っているなどと思う必要はありません。
いじめなどのように、あまりに恥ずかしいことをやる人は、そもそも自分に責任を持っていないので、実はすべて物のように「替えこと」で解決しようとするのです。
子どもの「替えこと」ごっこのように、自分と相手とをまるごと替えっこしてしまおうということです。
問題の対処法も恐るべき単純さです。
そして、その無責任さも含めて。
ようは、恥ずかしくて見透かされてしまっている無思慮で単純な衝動で動く自分と、そんな単純な自分で比較になるはずのないちゃんとした相手とを、「立場」で替えことすることで解決してみたら、何も考えらしいものもなく、責任感もない自分でもあっさりと片がつく。
だから、こういうマネをするのです。
衝動だけで口を利くようにです。
ズルい人間は、ご都合主義なので、ズルさの甘い汁を求めている人は、こういうズルさに目がありません。
だから、自分でも気づく間もないほどに、反射でこういうウソがつけるのです。
そうすると、動物のように単純な衝動で動いていた自分が、なんと相手に見えるのです。
そして、その自分は目の前にいるちゃんとした相手のマネをしてかっこをつける。
もっとわかりやすくいうと、相手の立場を断りもなく盗んでいる、と表現した方がいい。
何しろ、この「替えこと」ごっこが始まると、何もバレない内に、それこそぜ~んぶ問答無用に盗んだ立場という利益で自分だけがいい思いをするだけのことで、何もかも自分にいいように解決して行くというのだから、ズルさ人間には、普通に甘い汁を味わう関わりがあるだけです。
それが、替えことごっこの「立派なフリ」の正体です。
人も無責任にあぐらをかくと、こういうマネが平然とできるようになります。
まさに無責任さの衝動も、ここまで単純だと本当に何も考えていません。
ただ、替えことごっこの甘い汁を吸う為に、必死になって周りの人々の動きを食い入るように追っているのです。
無論、用意して置いた筋書きもあるでしょう。ただどのみちやることは、すり替えごっこです。
周りに甘えることができれば、実はたったこれだけで、難を逃れると同時に強みにもなる盗んだ立場を、いつまでも「騙しの強み」に使い続けることができる。
これが幼稚な卑怯者の正体の一つであり、これができてしまうことが現実の恐ろしさでもあります。
甘えてくる人間を、甘えさせざるを得ない。そうしたところに、異常なレベルに到達した「汚い甘え」はつけこんで来るのです。
しかし、人格の現象としては、これは退行であって、まさに知能を働かせるより、目先の欲望で動いているだけです。
言うまでもなく、これは単なる衝動ではなく、幼児人格の衝動なのです。
問題の本質は、こんなところです。
正体がわかれば、何も理解不能な問題ではないのだから、私たちは問題をよく知らなければいけません。
リアルプレゼントは、こうした人間の現実に光を当てて行くことを使命の一つにします。
そして、こうした衝動的悪意を相手にする場合、その衝動や特に悪意を指摘しても、相手には責任意識がない為に、自分の罪を受け取ることがありません。
それどころか、自分が好き放題やるのは当たり前だと思っているので、自分の好き勝手を邪魔した方が罪になると思うものです。
まさに、替えことごっこの人格が表している通り、何もかもが逆のことです。
この恐ろしいほどの思考放棄状態は、笑えるというより、そら恐ろしくしかも出口がない。
いじめとは、そうしたものです。
これは、いやが上にも責任を取らされるような場面にでも行き着かない限りは、何もかわりません。
ただそうなるまでは、「悪いのはオマエなのにわかってないからだろ!」と、とことん取り違えの頭で食ってかかって来ることにもなるでしょう。
例え、錯覚でも、自分に分があると思っている限りは、やめることはない精神状態でいるからです。
本気の替えことごっこに、まともな知能の働きは期待できないのです。
だから、その場合は、むしろ、「きっと、そうだよ」の効き目を使う方が良い。
相手が何を決めつけて来ても、あからさまな悪意をぶつけて来ても、それを、
「きっと、そうだね」と言っていったんは受け取るのです。
無論、相手のいうことを受け入れたわけではありません。
「きっと」というフレーズがみそです。
このフレーズを使うことで、君の頭の中ではそうなんだね、という意味で受け取ることができる。
コミュニケーションの問題は、コミュニケーションで勝つことが重要です。
そして、その為には、いかなる言い分でも相手の言い分を聞かなければいけません。
相手の話を聞かなければ、コミュニケーションを放棄してしまったのは、こっちということになってしまう。
これは、不戦勝の構図です。
ウソしかつかない相手が不戦勝で勝ってしまう。
しかし、替えことのウソを相手にしていても、らちがあかない。
だから、「きっと、そうだよ」を使って、相手を引き出すのです。
本当の責任が問われる場所まで。
もし、周りにズルい相手の味方がいて、ズルさのひいきをしていても、諦める必要はありません。
理屈はかわりないのです。
どんな場合でも、相手の話しを聞いて、その相手と相手の意図を、公正に判断できるところまで引き出す。
その為に、相手の話しを聞いて置くことが、いずれまともに話しをする者の最大のアドバンテージになるのです。
勝利の構図はここにあります。
後は、約束の勝利に向かって着実に進むだけでいいのです。
考え過ぎることもなく、衝動に負けることもなく、理知で進むのです。
