人の「約束」は、さまざまな情熱の方向へ向かいます。
それが、かっこをつけることに情熱を掛けることもある。
人の世の中も、競争の力の圧力がさらされる場所なので、「かっこつけ」も競争になるからです。
人と繋がる「関係」のあり方には、どうしても「かっこつけ」の問題も関わって来る。
そして、いったん、かっこつけの関係点が作られてしまうと、そこは、関係の力学全体の中で「保持力」を持ってしまう。
それは周りとの関係があるから、いやでも維持されることになるのですが、関係の根っこというものは、やはり「約束」にあるからです。
私たちは、一見必要のないことも、かっこつけで約束してしまう。
しかし、いったん約束すれば、そこには、自分が生きるための意義が生まれてしまう。
それが「かっこつけ」の、意味があるところでもあり、意味がないところでもあると思います。
人は、一人で生きているわけではないので、そういう意味では、「かっこつけ」もばかにできない。
結果としては、みんな、それなりの情熱や労力を掛けているからです。
しかし、思考の起源による「約束」の一貫性が見えて来ている私たちには、無用の情熱に巻かれる「かっこつけの約束」というものには、人生の重みから来る不合理を、見抜きたいものです。
約束の力学はかっこつけに走ることがある。それは結果としてのかっこつけの保持力となって継続的問題点の温床となって来る。