最近報道などでよく聞くようになった言葉の内に、「社会全体で考えなければいけないことです」という言い方があります。
実は、これにも、以前書いた記事「あるべき一体論」の中での、とにかく「一体になって」という目論見もない訴えかけと同じものがこもっていると思います。
つまり、求めるべき解決策への方向ではなく、逆に、もと来た道への抽象的なあり方を問いただしているところがある。
それが、「社会全体で考えなければいけない」ことという言い方にも当てはまる。
無論、現在の日本で、そう言いたくなる事情があって、もっと人びとの力を集めたくなる気持ちや背景がわからないということではないのです。
ただそれは、そもそも社会全体で考えておかれなければならない問題ではなかったのか?
そうした根本的視点が欠けているという点では、「とにかく一体になって」とかいう、どっちを向いているかもわからないようか言い方と同じ問題点を抱え持ったものであり続ける類いのものなのです。
今さら考えるようなことではないはずのことを、まるで考えないでいたことが当たり前のように済まされる。
無論、必要なことはいつでも考えていかねばならないにしても、あって当たり前のものがないから、これから何をするかという具体策ではなく、これがそもそもどうなっていたのかもわからないという抽象的な観点へしか目が向かない結果となっているのではないのか、ということです。
それを隠すなら、また聞こえのいい立て看板のようなもので、これまでの実態を隠すなら、それはやはり、まともに国民に対して言える内容ではないでしょう。
組織にとっては、その運営上、なければならない観点はあるはずであるのに、それが欠けているからです。
そのかわりに、国民に対しては、この窮状を解決してくれと、そう思ってくれるのが当然だと迫って来る。
そのくせ、自分たちの運営上の失敗は明かさないで、いきなり外から自分たちに都合のいい解決だけをもたらそうとして来ているように見えるのです。
これは、やはり明かされるべき責任の観点が欠けているからでしょう。
民進党がむかしよく言っていた、「すべての可能性を否定しない」という言い方には、これと同じ本質的問題があります。
ようは、自分たちの力ではどうにもならないので、自分たちの外側から解決策になるものを持って来させようということを言っているわけです。
昔の民進党、つまり民主党政権の頃などは、あらゆる解決策を自分たちの無計画さでダメにして来たものを、まるで自分たちと国民の間に、まともな橋を渡せるのが自分たちであるかのような「言い方」を取ることで、「国民の力で自分たちの窮状を救わせようとした」のでした。
この時にも、やはり民主党自身の不手際、無計画さや偉ぶり主義の反省をまともにすることはありませんでした。
だとしたら、この解決への方向性は、決して鵜呑みにすることではない。
民進党はそのいい見本です。
自分たちの反省はしないで、すぐに与党に戻った自民党の批判か否定ばかりしている。口先では「もう猛省した」とか言っておきながら、国会の質問に出て来ても、自分たちが民主党政権の時に見せた欠点や不手際の数々を、自民党のことに見立ててなすりつけている姿があまりに目につきます。
これは、裏を返せば、国民を舐めきっているということでしょう。
何を言っても、日本の国民が自分たちの実態を見抜くはずがないという態度に凝り固まっていられるために、こうした体たらくで居られるのです。
「社会全体で考える」ということは、非常に良識に満ちた言葉や意図に思える。
それは間違いないことだし、むしろ、私たちにはいつだって必要になる態度のはずです。
しかし、本来、その役目を果たさなければならなかった人たちが、それを怠って来た結果ではないのか?、ということが見えて来るなら、果たして何も考えずに受け入れられることでしょうか?
民進党の「なすりつけ主義」が当たり前のこととは見なせない見識はあるべきでしょうし、それと同じに、本来役目を果たしているべき問題点のあり方を見ないでおいて、見せかけの騙しのような解決策など、あり得ません。
この世のあり方など、すべて無責任で当たり前だと言っているだけだからです。
それでは、まともな世界は腐ってしまう。しかも、その世界は、私たちの世界のはずなのです。
その追及をなしにして、結果だけ良くなるようにみんなで考えてくださいというのは、許されてはならない怠慢と背中合わせになっている問題なのではないのか?
それなのに、これまでのあり方を「見ない」で「問わない」というのは、やはり不公正な問いただし方になっているのではないのか。
そうしたことが見えて来ます。
つまり、そうしたことが、「これは社会全体で考えなければいけないことになっていることです」といった言い方には、つきまとっているように思えるのです。
それは、考えられていることではなかったか?そして、その人たちは、実際に何をしていたのか?
それを含めて考えられなければ、いつまで経っても同じことが繰り返されてしまうのです。
逆ピラミッドの力学をみんなで利用すれば、人びとの力を吸い上げようとする、組織の隠された意図にも、健全に対応することができます。
それも、社会での生活上の必要なことは関わることができるし、応じる必要のないことは断ることができる。
それは、個人として、そしてすべての人びとはやはり個人として、守られるべき権利は守られるべき位置づけに居ることになるからなのです。
そこから、闘うべき問題と、闘うことができます。