「メンタルブロック」というと、生きることには障害を作るもののことと見られています。
確かに、心の中にあって、思うように生きることを邪魔するかのように働く心の作用はあるのが現実でしょう。
しかし、その「メンタルブロック」というものは、単に邪魔なものとして排除するのが正しいのでしょうか。
生物の持つ能力には、やはり「生きるため」の意味があるのが基本だと思います。
だから、「メンタルブロック」と言われるものにも、そこにはやはり生きるための意味がある。
生物と環境の力学を視野に入れれば、人の持つ能力というものは、その始まりは、生きるために必要とするものだったはずです。
わかりやすい例は、原始的な狩りを思い浮かべればいいでしょう。
そこでは、攻めるための構えも、守るための構えも、どちらも自分が生きるために必要となるもののはずです。
環境に生きることを前提とする「生物」にとっては、攻めも守りも、どちらも元来、必要なのです。
そうした視野から見れば、「メンタルブロック」が生きるのに邪魔に見えたとしても、それはそもそも、自分が生きるために必要としていたものではなかったのか、ということが考えられることになるのだと思います。
と言っても、今を生きる必要のある私たちは、過去の自分が必要としていたかもしれない「メンタルブロック」を、今も後生大事に持っている必要があるとは限らない。
生きるために必要がないものなら、持っていても仕方がないということはあると思います。
しかし、「メンタルブロック」が、自分の心に生じているということには、そこにはきっと自分にしかわからない理由があるからなのでしょう。
そうしたものを、邪魔だからと言って安易に切り捨てていいかと言えば、疑問が残るものだと思います。
つまるところ、人生の真相は、いつも中間にある。片側だけのものの見方ではなく、関係するものの双方がそろったところに、「あるべき姿」は作られて来るのです。
それは、自分の気持ちのことであっても、自分だけで決めて済むようなものではない。
そして、心には層があるので、一見矛盾するようなことでも、心の内に閉まっておくことができる。
「メンタルブロック」にとらわれない生き方がしたいなら、今はそれでもいいかもしれない。
しかしそれが、いずれ自分の心の構えが何であったのかを気づかせる転帰に繋がるかもしれません。
そういうものを、今の利益だけにとらわれて自分に対しても決めつけてしまうことは、あまり賢いことではないと思えるのです。
世界との力学を、自分のもとに取り戻すことを考えて作られた逆ピラミッドの力学は、自分の可能性を拓く力学です。
そのために、私たちが生きる社会との友好な関係が可能にならなければならない。
そのことを無理なく推し進めるために、世界への力学は拓かれて行くのです。