☆世界を変える、世界は変わる。
~リアルプレゼント~ 第5回
ブラックルールと安全(道徳の完勝法則)
道徳の成功法則では、道徳を味方につけることは、一番楽に、一番確かな生き方を身につけることを説明しましたが、道徳には、影の面もあります。
それは、ルールを守らないことをルールとするような、暗黙のルール、影のルール、または勝手なルールが存在することです。
こうしたローカルルールやマイナールール、果てはブラックルールと言われるような本式のルールとは認められないものは、確かに存在して、私たちのすべての活動の周りにあります。
しかも結局、こちらの力の方が強く見えて、道徳を現実にするのは不可能だとサジをなげられる方も多いのではないでしょうか。
人が生きる世界には、守られないルールや、あってなきものとされたり、危険視されたルール、または簡易な取り決めとして、その場限りのルールなどが作られることになる、表と対になった裏のルールが必ず生じます。
ルールというのは人が作るものなので、どうしても表があれば、その裏があるということになって来ざるを得ない。
すべてをルールのもとに管理してしまうのは不可能だからです。
だから、ルールの管理下から逸するような陰のルールが生じてしまう。
でも、これは、人が生きる為に、どうしてもルールは必要とされている、ということの表れでもあるのです。
人は集団生活をするものなので、集団が力を発揮する為のルールは必ず要るのです。
そして、陰のルールというのは、ある集団内部では必要とされるから、暗黙のうちに周知されて、それを守らないと許されないということにもなる。
ただ、暗黙のルールというのは、それが正しいものであるという保証の取れないものになることがある。
暗黙のルールのすべてを否定することはできず、それによってうまく回ることも多いのですが、それが隠されたものであることをいいことに、卑劣なブラックルールを作る手合いがいるのも事実です。
こうしたローカルルールやブラックルールを相手にする時に、一番大事な注意点は、それが「安全」という観点を考えた時に、自分にどういう意味や影響があるか、です。
安全はすべてに優先する。
こうした標語は、まともな会社や集団なら、すべての組織で採用されているぐらい決定的な概念です。
安全を守ることがルールに取って重要なら、ルールの方が曲げられることがある。
車の速度制限のことを調べてみてもわかることですが、必ずしも速度制限だけががちがちに守られているわけではありません。
ある程度の範囲や許される範囲の逸脱なら許容されるのが実情のようです。
では何が基準でルールが変わるのか、それは安全です。
特に、周りとの関係で守ることが重要になる安全が、一番の基準となってルールの中心になるということがあります。
その場合も、ルールがなくなることはありません。
確保されるべき安全を中心にして、ルールを再考することになります。
ルールのあり方を変えるということです。
守られる安全を中心にすることになります。
ただ、法律の実態は、安全を考慮した体系になっているので、最初から安全を配慮した考え方はある。逆に、それがあるのがまともな法の考え方だと思っていいし、そうなっていないのなら、そう変えて行くべきなのです。
なぜなら、安全が確保されてない場所では、何もできないからです。
ある程度以上の安全が確保されていないのなら、それがどんなものであれ、仕事をすることができません。
人間関係だろうが勉強だろうが同じことです。
私たちは、まず守るべき安全を考えてからしか仕事を始めることができないのです。
これは、自然のルールです。誰にも変えられません。ある程度ムリは効いても、変えられないのです。
中国の武漢から始まるコロナウィルスのパンデミックが世界に蔓延している今、そのことはよく身近に感じられるのではないでしょうか。
集団の中に生きる私たちの個人の主体性に取っても、話しは同じことです。
まず、個人と集団の活動に取っての安全性。これがどうあるべきかを考えて、そこから、自身の仕事に取っての主体的な選択はどうあるべきかを考えて行くのが、正しい道徳の考え方であり、人間の道徳以前の、自然の法だということです。
私たちは、自然を利用しますが、自然を変えることはできません。
自然の産物である人間自身を変えることはできないのです。
しかし、人間の持ち主は、人間自身でありそれが個人です。主体性は、そこに求められるものです。
主体性を発揮する為に、私たちは私たち自身であるとも言っていいでしょう。
そうした背景をもとに、私たちは、判断に困った時に、それは、私たち自身の選択を捻じ曲げるために取られたものであるなら、あるいは、その正体がわからない時にも、まずは自分自身の安全を考えることから、自分の進んで行く道での在り方を考えること。
この思考の癖をつけておくことが、考える必要がある時に間違いをしない判断を繰り返すための、本当の隠れた法なのです。
まず、自分と自分の関わる人たちに、害がもたらされるかどうか。自分の選択の結果が、いかなる結果を引き起こすことになるのか。
これを、安全の確保の基準から主体的に考えられるのが、まともな人間ということです。
いかに追い詰められた時でも、このことを忘れないで居れば、自分が何に挑み、何に負けてはいけないかはわかるでしょう。
こうした、折れてはならないことを折れずに守れる人間は、その時はどう言われても、長い目では高く評価されます。
そして、それを一番間違いのない主体性の発揮で行い続けるには、暗黙のルールやマイナールールが、果たして自分たちの安全にどういう意味や影響があるのか、それを常に考えられるようにして、そこから当然考えられるような改善の働きを率先して手掛けて行くことです。
まず形から入る道徳では、いい意味でも悪い意味でも融通の効かないままです。
でも、現象から入る道徳なら、すべてのルールを相手にすることができるのです。
だから、現象から入り、安全を守る道徳の成功法則こそが、あらゆる道徳の真の基軸となるのです。
この道徳の態度があれば、あなたの道徳心は、最初から完勝の態度となるでしょう。
静かなる不動の自明心として。