逆ピラミッドのヒエラルキー構造は、個人が繋がる世界を見た場合の力学的広がりを見せています。
それは、通常のヒエラルキーの繋がりを個人から見て逆転させたものでした。
個人を点として、点と点の間を、関係の線で繋げば、そこに多様な関係の線が作る特有の力学の世界が表れて来るのです。
この線は、個人の外側にあるだけでなく、個人の内面をも現すことができる。それは線が現すものが関係の特性だからです。また点の基本は個人ですが、認識の点は、関係の対象全般に当てはめることができる。そもそも個人も認識の対象だからです。そして社会を把握するためには、個人を基本の点として扱うのが一番です。
その個人の集合体が、私たちの社会を造っている。個人間を繋ぐ線が、私たちの社会を繋ぎ、動かして行く動力線です。
線は特有の集団力学や組織力学の、そこに特有の性格を作り出します。これを世界の「面」と見ます。
・力学の世界
逆ピラミッドの力学では、世界を「面」の特性で理解します。それだから、私たちが見る世界全体が1つの「面」であると同時に、その全体の「面」の中には、数知れないほどの大小さまざまな「面」が、集団の特性として作られ続けているのです。
ある集団や組織が作る、そこに特有な性質や特徴など、さまざまな独自の関係特性が認められて来るものを、関係の線が作る「面」として扱うわけです。これが逆ピラミッドの世界の見方であり、逆ピラミッドが「面」として見られるものでもある。
私たちは、さまざまな関係の「面」の世界を知っており、それが豊かであるほど、生き方も豊かになる。それが直接には伝わって来なくても、やはりそうなのです。
世界の表れを、2軸の平面ではなく、3軸の立体で捉えることもできると思います。それでも、点の基本と、線の関係、そして「面」で見る組織の表れがそこで無くなることはない。これは基本のツールです。
この三つの要点だけで私たちの世界を把握して行くのが、認識の節約としても要領がいいということです。
実際、詳し過ぎて把握に難しいようなものは、現実の余裕のなさの中でのやり取りになるということを考えれば、実用的ではありません。やはりこれぐらい簡素な認識構造のものでない限り、いざという時に、役に立たないと思います。
そして、現実はいざという時の連続です。世の中は、私一人のために回っているわけでは決してなく、すべては世の中の人すべてのために回っているからです。
「私」は世の中からの要求に常に応えて行かれねばならない。だから現実は、いざという時が基本だと思います。
そして、逆ピラミッドは、その「私」が生きやすくなるためにある。さらには、単に生きるのが楽になるだけでなく、生きることにつきまとう悩みが、「私」が生きるための強さの源泉にもなる。そこに社会の力を引き込めるからです。たとえ、目には見えなくても社会の力を集めて来ることができる。だから、悩みが生きる契機となります。いや、悩みで「私」が生かされる。本気で生きていれば、悩みがあるのは当然です。
逆ピラミッドの力学の意味がわかれば、悩みが生きる強さになる。そのための現実的な世界把握法が、ここにあるのです。