この本読んでるけど、想像以上に凄すぎた(悪い意味で)

 

 

 

 

 

 

「それ結局あなたの主観ですよね」という、ひろゆきみたいなツッコミを、全ての文末に対して入れたくなった。

 

つまり

「実例を用いての客観的な論証」とか「他著者の言説との対話」

という、本来論文を書くにあたっては必須の要素が一切欠如しているのだ。

 

 

言い換えると「自己主張しかしていない本」とも言えるのだが

 

 

ちなみに愛先生自身の出生チャート(時間は不明)を出してみると、彼の月星座は「牡羊座」にあった。

 

 

 

 

 

さて、では本書の中で「牡羊座の月」について端的に書かれた部分を引用してみよう。

 

 

 

 

 

え?矛盾してないか?

先生ちゃんと「自己主張」できてるってば

むしろ「自己主張しかしてない」ってくらいにしてるじゃん

それとは真逆のことが書かれたこの本自体の中でさ

 

 

つまり、著者自身が掲げるテーゼを、著者自身の文章にてあまりにも分かりやすくひっくり返しているように読めてしまう

ということである。

 

これはもはや壮大なギャグなのか?

 

本来西洋占星術を名乗る時には語られて然るべきな「個別のアスペクトやハウスの違いからくる感じ方の多様性」についての言及がなく、サインと天体(それも月と太陽だけ)のみ切り取って「これこそ占星術なのだ」と語られていることも問題だが、

もはやそれ以前の問題だ。

論として体裁すらなしておらず

しかも、著者自身が自説とは矛盾することを、身をもって盛大にやってしまっている

月から目覚めよ、と言っている著者自身が、一番分かりやすい形で自身の月サインの暴走を披露してしまっているように読める。

しかも自説からの盛大な矛盾こみで。

 

 

客観性の欠如した主観的主張を突っ走らせてるところもそうだが

新しい分野の開拓者・先駆者として突っ走る、みたいなのもまさに牡羊座っぽい

なあんだ、先生、ちゃんと元気に自分の月やってるじゃん!

 

「月から目覚めよ、それは欠損だ嘘だ」と言ってる愛先生自身が、誰よりも分かりやすく自分の月星座丸出しでした

というオチ笑

「従来の占星術解釈は間違っている!」と言っている活動そのもので、「従来の占星術解釈がめちゃくちゃ当たっている」ということを示してくれるとは

 

さすがです

 

 

 

 

しかしそれにしても、こんな本が一部では「立派な真理を説いた本」としてありがたがられている現状、普通にヤバいと思う。

 

何故誰もまともなツッコミをいれない?

 

正直、これは「ただ一個人の思い込み(しかも盛大な自己矛盾を含む)が垂れ流されただけ」の奇妙なエッセイ本に過ぎない、と言ってしまって良いものだ。

その思い込みに共感できる人々も一定数いるのはわかる。

そういう人たちがシンパになっているのだろう。

個別事情として月が「欠損だ、虚妄だ」と感じられやすい月のアスペクトはあるだろう。

そもそも愛先生自身の月のアスペクト自体、そういう複雑さを抱えたもの(水星にスクエア、海王星とオポ)なのだ。

つまり、愛先生自身の個別事情(月への複雑なアスペクト)として、月についてネガティヴにとらえ易い部分があったからこそ書かれたエッセイなのだろう、とも読めてしまうところがある本なのだ。

また、愛先生と似たような個別事情を抱えた人々がそこに共感を覚えてもいるのだろう。

 

しかし、この本の中ではそういう特殊な個別事情は一切語られておらず、

月が、太陽が、サインがと、月と太陽とサインのみ切り取られているに過ぎない。

それで「これこそ占星術」「これこそ真理」と何の検証もせずに主観的な思い込みに過ぎないものを突っ走らせているわけだ。

アスペクトやハウスもこみで、様々な個別の例を検証すれば「一概には言えない」ってことがすぐにつかめるはずのものなのに、

そういう複雑な個別事情については都合よく捨象されてしまっている。

 

 

 

つまり、論者自身の主張にしろ、そこに共感を覚えている人の実感にしろ、1つの偏った思い込みに過ぎない、

と言ってしまっても良いものだ。

そんなものを、著者の熱量にほだされて「これこそ真理なのだ!」とばかりに持ち上げている人々には、

ちょっと冷静になってくれ、と言いたい。

この本に共感を覚えてしまう、つまり自分の月は欠損だ、と思ってしまう自分自身の月の「アスペクトやハウス」

についても冷静に検証してみてはいかがだろうか。

サインや天体の概念そのものにではなく、そういった月にまつわる個別事情にこそ自分自身の違和感の根拠が潜んでいるのかもしれない。

そして、それは必ずしも欠損などというものではないかもしれないし、むしろ痛い部分にこそ可能性の芽が潜んでいるのかもしれない。

欠損だ、無いものだ、と片付けてしまってその芽を潰してしまわないで欲しいと思うのだ。

 

月ではなく太陽へ向かうのだ、太陽こそ自己実現の星なのだ、と先生は言うけれど

いやいや、月との相互作用抜きには太陽だって輝かない。

光は影とのコントラストでこそ光として浮かびあがってくるものだ。

どんな未来だって過去を土台としていないものはないように。

7歳の子供の感受性なんて無知で幼稚なままだ、子供時代の刷り込みなんて役にたたない、と先生は言うけれど、こんな一面的な思い込みでしかないものにあなたまで染まる必要はない。

子供時代がどうだったか、なんてそれこそ人それぞれだし、その頃に得た豊かなものを才能として昇華している人だってたくさんいるのだ。1人の主張を聞くよりも、たくさんの実例を見るべきだ。

何よりあなた自身についてもっとよく観察してみるべきだ。

月サインについてのこんな偏った一面的な解釈を真理だと誤解してしまう前に、

もう一度自分自身を「色々な角度から」観察してみるべきだ。

 

 

 

 

そして何より著者であるマドモアゼル愛先生自身こそ冷静になるべきだろう。

 

「真理を説いて皆さんを悪い思い込みから解放してやろう!」と言っているあなた自身こそ、

個人的主観から偏った思い込みを突っ走らせているし、

読者たちをその偏った思い込みの枠に押し込めてしまおうと扇動してしまっているのではないか。

 

本来はもっと多様性のあるものなのに、可能性のあるものなのかもしれないのに、

それを強引に十把一絡げに踏みにじろうとしているのはないか。

 

私はそう言いたい。