自分もフェローとして関わらせていただいている代々木で毎月集まってやってる勉強会がある。





次回は6月5日(わたしはテラメーラに占いで出店なんでこれは参加できない)






過去へ未来へとぐるぐる回しながら、話を聴きつつ、星の暗号解読をしてゆく。

他人の人生がまるで映画みたいに頭の中に再生されてゆく。




自分もこの勉強会の第2回に弟の呪われた恋愛遍歴を題材にして研究発表した。
そのことについてはまた改めてあとでくわしく振り返るとしよう。




占星術やってると、どの人の人生でも、使ってる舞台装置とか出演してる俳優は共通してることがわかってくる。

その使われ方が違うだけで、使ってる素材はオレもあなた方と同じのを全部持ってるのだ、ということが理解できるようになる。

それぞれみんな別のジャンルやってるけど、実は楽器編成は同じだし、楽譜の記譜方も同じなのだ。

この認識が明瞭で、かつ深いと、体験の共有度合いが半端ではなくなる。

また、異なるジャンルたちを杓子定規で測るということもなくなる。






ホロスコープというディスクを、参加者たちの中にあるそれぞれ違う読み込み装置に入れて、回転させてみる。

すると曲が流れるのだ。「他人の人生」という。

彼ら自らがいつも再生しているジャンルのなまりがやはりそこに混ざる。

一つのディクスからいくつもの違うバージョンが生まれ得る。

占星術は宿命論で縛ることができない。

シンボリズムの多義性は果てしなく闇深く、光の当て具合でいくらでも姿を変えてしまう。

異なる照らし方のバージョンの数だけ、異なる生き方の可能性が生成されるのだ。