ハドリアヌス帝の別荘1 | フィレンツェ暮らしアレコレ

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フィレンツェの中心街から郊外に移り住んでマッタリのんびり?
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こんにちは。

今回はティボリで最も有名な観光スポット、1999年にユネスコ世界遺産となっているハドリアヌス帝の別荘についてです。


まずは愚痴からスタートさせていただきます。

最新版ガイドブックがいけてない❗️

エステ家別荘とハドリアヌス帝別荘は一つの組織となり、現管理者になってから公式ガイドブックが黄色の、とんでもなく薄いでも7€(半額が妥当に思える)になったと販売員の方がおっしゃり、もっとちゃんとしたものはないのですか?と尋ねるとフランス語のみ、旧公式ガイドブックが売れ残っていて、お勧めできる内容とのことでした。フランス語を買ったところで読めないだろうと悔しながら黄色いガイドブックで妥協、エステ家は旧公式ガイドブック英語版、内容はそれより薄いけれど写真が大きい絶版日本語ガイドもラスト1が有り購入いたしました。

 そして家に帰ってエステ家旧公式ガイドと黄色のハドリアヌス帝別荘のガイドを見比べ、フランス語でも旧を購入すべきべきだった、黄色はウィキペディアで十分カバーできる内容ではなかったかと...後悔いたしております。


さて気を取り直して、

 ハドリアヌス帝別荘へは宿のチェックインを終え、グレゴリオ公園を訪れた後、ティヴォリから徒歩1時間弱で、帰路は切符を予めタバッキで購入し、別荘のチケットオフィスの直ぐそばのバス停からティヴォリへ戻りました。


別荘入り口のバス停の時刻表です


街を出てしばらくは車道の脇(ちゃんと歩道があるので安心です)パノラマも楽しめます。



茶色い文化史跡系統の行き先案内でVilla Adriana の表示のアスファルト舗装の無い脇道に入り、オリーブ畑を眺めながら歩いていきます。

トスカーナは1985年記録的な寒波に見舞われ、オリーブの太い老木はほとんど見られないのですが、ティヴォリのオリーブ畑には写真のような芸術的な姿の老木が沢山ならんいて感動いたしました。

中部イタリアを代表する牧羊犬、マレンマーノです。テリトリー意識が高い犬なのに吠えかかってこないので写真を撮ろうと近づいたら流石に一匹、やる気なさげに立ち上がって吠えはじめました。

とにかく長閑です。

畑道を抜け、左に少し歩くとハドリアヌス帝の別荘入り口です。

 私が行った時の閉園時間は18:30でしたが、17:30チケットオフィスが閉まる前にオーディオガイドを返却せねばならず、ブックショップは15:30に締まると言われ、ガイドブックも先に購入いたしました。

営業時間や体制は時期によって異なるので事前にサイトをチェックし、不明なところは問い合わせしておくと安心です。


園内入って直ぐにある見取り図です。


Pecile 
アテネのポイキレに倣った建築でかつては彩色された壁面の屋根付きの二重回廊で囲われ、天候に左右されずくつろげる空間となっていたそうです。

100の小部屋と呼ばれるアーチが連なる広大な空間です。複数のトイレが発見されたことから住居スペースだったと考えられているそうです。

哲学の間

7つのニッチに哲学者の像が飾られていたと言われているそうですが、図書館の多目的ホールのような空間ではないかと考えられているそうです。




海の劇場

海の神や怪獣など海にまつわる装飾で飾られていました。その一部はエステ家のティヴォリの別荘に使われていたとの記録が残っています。中央の丸い島の空間へは木製の跳ね橋のみ渡れるようになっていたそうです。この遺跡のややっこしいところが、名称と用途が一致しないところで、後世の人々が呼び慣わした名称がそのままで、実際の用途は異なる箇所がかなり有ります。

 ラテン語とギリシャ語の図書館のそばであることなどから、現在では、皇帝の書斎だったのではというのが有力な意見になっているそうです。


ここは、ギリシャ図書館と呼ばれた夏の食堂と、プレートに書かれてありました。


この遺跡で初めて目についたモザイクです。

さすが皇帝の作らせた施設だけあって、白黒ツートンの淵部分のモザイクの目の詰まり方がオスティアで見たものよりみっちりと貼られているように感じました。

そして面の部分はオスティアでは見られなかったような長方形の色大理石ピースのモザイクを織物の様に組み合わせています。

 商業都市のオスティアアンティーカと皇帝の別荘では仕事をした職人の質も材料にかける費用も格段に違ったのだろうと感じました。


わずかに残る床モザイクは色大理石を幾何学のピースに切り貼り合わせたもの

ファンタジーに溢れたデザイン


ツートンながら複雑な幾何学模様


ハドリアヌス帝別荘でもっともよく保存されているモザイクが、客間 と呼ばれる区画の個室一つ一つ異なるデザインが施された白黒ツートンのモザイクです。




写真枚数限界の為、次回に続きを書かせていただきます。

今回訪れた観光スポットでかなり強烈にネガティブなショックを受けたのがハドリアヌス帝の別荘見学でした。

 先に書いた様に入園前にまともなガイドブックの出版が終わっていたこと。
 
 既に色々情報集をする中でわかってはいたことですが、かつての姿が見る影も無くなっていること。心のどこかで、同じように長年放置されていたオスティアアンティーカが期待以上の保存状態だっただけに、実際に訪れたら色々当時を偲ぶものに出会え、かつての姿をイメージできるのではとの期待も打ち砕かれました。

 かつてはアクセス可能だったらしきエリアも鎖やテープで立ち入り禁止。

 古くから設置されている痛みかけた解説パネルには解説、考察が有るのですが、新たに設置されたらしき点字表示付きパネルには解説がほとんどなしです。

 地図を見ながら音声ガイドでポイントを見逃さないように回ったのですが、遺跡の各ポイントに再現図を設置していてくれていたらなと思いました。

 長年にわたって格好の価値ある建材、装飾品の採掘場として利用され続けた挙句の成れの果て、ヨーロッパ最高の文化遺産だったはずの場所の、あまりの荒れ果てた無惨な姿に、人間の浅ましさと愚かさを見せつけられ、ズーンと心が重く沈みました。