釉彩テラコッタのロッビアファミリー2代めのアンドレアの晩年の姿が描きこまれているフレスコ画がフィレンツェのサンティッシマアンヌンツィアータ教会にあります。
この作品がアンドレア デル サルト によって描かれたのが1510年、当時アンドレア デッラ ロッビアは、75歳、亡くなったのは1525年です。
1435年に生まれたので当時としては大変長生き。
ルネサンス初期を代表する1466年に亡くなったドナテッロの棺を担いだ事が自慢だったとも言われています。
アンドレアの先代、初代ルカがドナテッロと同時代に活躍し、子供がおらず、ルカの工房で右腕として働いていた甥のアンドレアが工房を引き継ぎます。
なので初期のアンドレアの作品はルカの物かアンドレアの物か、研究とともに判断が変わるものもあります。
フィレンツェの初期ルネサンスから叔父の元で製作を始め、ヴェロッキオ工房が隆盛を誇ったフィレンツェの盛期ルネサンス、ボティチェッリが活躍、レオナルドダヴィの成長を見て、1494年メディチ家追放、ミケランジェロがダビデ像を1504完成、ラッファエッロのフィレンツェ滞在からローマでの死、
そして彼の肖像を描きこんだアンドレア デル サルトの弟子からマニエリスムが始まります。
アンドレア デッラ ロッビアの作品自体は同時代の画家の作品から上手く構図などを取り入れつつも叔父から引き継いだ普遍的な美を守り続け、工房を拡大しヨーロッパ中に作品を送り出しました。
私のイメージでは職人肌の実直で真面目な芸術家だったのではないかと思います。
作者の人柄が偲ばれます。