脆い両腕の調子を見ながらぽちぽち記録を。。。としていたらもうすでに2週間も経過しているではないか。その間にNHS関係で黒い怨念が渦巻いたり、黒い丼から連絡がないことを嘆いたり、負のエネルギーばかり燃やしていた。これではいかん、人生は短いのだ。

 

長靴国北部のオリンピック都市、トリノの景観美観地区の市街地には世界遺産指定を受けたサヴォイ王宮やら外見は普通だが中が度肝を抜かれるほどゴージャスな教会やら、「バロック」様式の溢れかえっている。私のおぼつかない記憶(大学時代は西洋史専攻だったのに。。。)によると、宗教改革のあれこれで落目になったカソリックが巻き返しを図ってタッグを組んだのが「芸術」。

 

これでもか!と3Dに訴えるドラマティックな彫像やら絵画やらで、ドーンと目にわかりやすく教えを再現してみた。まさしく舞台芸術。光を利用したダイナミックな設置、これでもか!これでもか!と、やたらと過剰な装飾。現在のように照明が発達していなかった時代、これはみた人々に「おお、これぞまさに天国」と思わず息を呑むだろう。

 

私は平均的日本人なので、これといった強い信仰のないがなんとなく寺社仏閣には敬意を払う。高校時代はローマンカソリックの学校だったので、一応クリスチャンのあれこれも教養として教育を受けた。なので、教会にも一定度の敬意を払うように自然となった。大学の一般教養課程で芸術史齧った時にバロック様式にも触れ、「へえ、なんだか迫力あるね」と思ったものだ。それをこれだけの量を一気に見ると迫力というより、ドーンと芸術の方がジリジリ、人にににじり寄るってくるような錯覚を受けてしまった。

 

時代的に次の華麗で繊細なロココ様式に移行するものも混じっていて、最後にはまあ、デコレーションケーキのクリーム部分のみをどしどし食え、というような塩梅でお腹いっぱいという感じであった。つまり、前世マグロ疑いはこういう物を日常的に触れる環境で育ったわけだ。どうりで朝からチョコレートドーナッツを食べてけろりとしているわけだ。(どちらかというとドーナッツ🍩はアメリカ風か?)

 

あとは、トリノの聖骸布を見てみたかった。カトリックの奇跡の聖骸布、なんとなくロマンがあるではないか。科学的調査ですでに伝承のようにジーザスの遺骸を包んだとは言えないと証明されているが、それでも結構古い時代のもので、未だに奇跡でないのならば、どうやって作成(発生)したのかが不明というのは興味深い。

 

聖骸布そのものは奥深くに仕舞われているが、聖骸布を展示保存(?)していたチャペル(?)はトリノ王宮郡から見学ができた。ここもまた、これでもか!これでもか!という装飾で「ここにあるのはエライもんなんやで」と体感に訴える具合だった。

 

「バロックの迫力」というのが大学時代のカリキュラムでの謳い文句だった。確かに。迫力まんてん、お腹いっぱいという具合だ。最後には何もかもがケーキのデコレーションに見えて、ああ、だから前世マグロ疑いはムースだのエクレアだのクリームケーキだのが好きなのか、、、と思ったものだ。

 

ペンギン「かーちゃん、芸術じゃお腹いっぱいにならないよ」ペンギン

「そうだね、何かを食べるってわけじゃないからね」

ペンギン「じゃあ、なんでかーちゃんお腹いっぱいなの?」ペンギン

「ずっとデコレーションケーキ見ていたら、なんだかそんな気がしない?」

 

ペンギン「僕、わかんない。。。僕のアイスクリームは?」ペンギン