あれ???何かへまをしたらしく、一つ前の記事が吹っ飛んでしまった。

むむむ。目が霞んでいるのだろうか?

 

さて、記憶が薄れないうちに久々の観光外出についてメモっておこう。


目的地は長靴国北部(?)、でっかい有名な観光都市の近辺にある、冬季オリンピック後、これまた観光に力をれるようになった都市だ。暑いのが大嫌いな私、近辺のでっかい観光都市が既に「英国基準熱波」温度になっていたので、かなり不安でいっぱいだった。

到着したのは日没ちょっと前の夜、おお、チコっと蒸すが恐れていたほどではない。気候は長靴国の中でもまだ凌ぎやすいようだ。幸い、宿のエアコンもスイッチオン解禁日を過ぎていたので、短時間つけるだけで室温、湿度両方とも快適な塩梅に調整できた。この空調のつけられる日時が市の条例で決まっているとは知らなかった。許可期間でも日中はつけてはならない。これは「宿」だからなのか、想像している。

お年寄りなどは灼熱の日本の真夏は日中快適な室温の中で過ごすことが推奨される。我が母にもケチってないで冷房つけなさい!とやかましく言うのが恒例だ。前世マグロ疑いによると、真夏日には40℃近くになることもあるそうだ。そんな中、自宅に空調設備があるのに空調が使えない、というのは愚の骨頂だ。観光客もジリジリ焼かれながら外をほっつき歩くより、室内に居たいのではないか。。。と思うのだが。

私が宿泊していたのは、いわゆる観光美観地域から離れ、ごくごく平凡一般市民が在住する地域にあった。とにかく、前世マグロ疑いの居住地から近いということで探し抜いたのだ。どちらかというと、かつての地場産業であった工業地帯へのアクセスの方がより便利な立地にある。彼の父上も、現役時代はエンジニアとして地場産業に貢献していたとのこと。

観光に舵取りを切った今、私の泊まった宿への集客をするには若干立地条件が弱い。とはいえ、会議場を有しているので、街のど真ん中で会議場借り上げは高すぎるが、ここならば「会議場」+「宿」で一石二鳥だ。

彼曰く、地場産業がよそに転置してから人口のあれこれがあり、子供時代はローカル語を話す人が多かったが、今ではおそらく高齢者ぐらいしか「ネイティブローカル話者」は居ないとのこと。二次大戦敗北後、長靴国では中々に中央政府というものが定まらず、地方行政もあれこれ圧力を受けた経緯があり、長い間「ローカル語」を大っぴらに使うことができなかった時もあった。今になってローカル語を絶やしてはならぬと教育に力を入れ始めたが、間に合うかどうか自分としては懐疑的だ。。。と言っていた。

言葉は生き物なので、「絶滅危機言語」に陥ることは簡単なのだ。彼自身は共働き家庭で、子供時代は祖父母と長く過ごしたので、自然と「ネイティブローカル語話者」になった。6歳年下のできる弟さんの幼少時代は政治的な圧力もあれこれもあり、弟さんは機会を逃してしまったので、弟さんは話すことができないそうだ。

彼はご両親とは「ローカル語」、弟さんとは「現地語」で話すという。ご両親と弟さんは「現地語」で話す。彼は「現地語」を話すことはもちろんできるが、好きではないという。長らく地方独立都市国家の集合体であった長靴国の複雑さを垣間見たような気がする。