
さてさて今回の上京のテーマは残るひとつ。40年数年前、昭和46年から昭和50年3月までお世話になった明大前の下宿先訪問だ。実は2年前のポールのコンサートの時も試みている。その時は玄関までたどり着けず。大家さんのおばちゃんには会えず。さて今回はお土産の笹団子持参である。と気合いを入れて。
新宿で京王線に乗り換えて。明大前の駅を出ると昔は坂井書店、中華食堂の明大軒、定食屋のふじや、映画館の正栄館、明治大学和泉校舎に続く小路には私が頻繁にお邪魔してたヤマニレコードがありました。と記憶なのでいささか自信なしではありますが。すっかり変わっていましたね。ふじや食堂が定食屋から和食レストラン風になっていましたが他は見当たりません。
親父が私を撮ったこともある明大前駅を出て左に曲がって。4年間歩いた道は体が覚えている。4,5分も歩けばやがて昔は木の門だった所に。現在は駐車場。鉄の扉があってそれが壁となっていましたが。近づくとそれらしいおばあちゃんが人と話し込んでいる。おお、ラッキー。○○○○○さんですか?はい、そうですが?新潟の○○です。まあ!新潟の○○君。久しぶりね。おお、覚えて頂いていました。やれやれひと安心。忘れられてたらどうしようと不安もありましたが。下宿はアパートに姿を変えていた。下宿を卒業して40年ぶりの再会。まだまだおばちゃんはお元気でした。おばちゃんはアバート、アバートとバが濁って発音。昔の人はデパートもデバートと発音するのです。
あの頃は私は20才前後、おばちゃんが40才くらいだったとすると80才前後になられてるなと思っていたが。あの頃いたおばあちゃんも83才で亡くなられてたとか。現在はおばちゃんがその年齢になられたとか。まあ、お茶でも飲んで行きなさいよ。時間は大丈夫?指定席は夜7時頃なので十分ありますと。あがりこむ。
約40年ぶりの会話を楽しみました。あの頃の住人の事や駅周辺のこと。変わってしまいましたねと。時々訪れる方もいるとか。早稲田のあの人Nさんは一回だけ来ましたよとか。コーヒー?お茶?私はコーヒーを下さいと。25年位前に建替えられたとか。敷地内にアパートを立ててそっくり昔の下宿が残ってるわけではありませんでしたが。それでも一応二階を見せて頂いた。ほぼ同じ階段をとんとんと上がり。廊下を左に一番奥左が私のいた部屋だった。だいたい私の住んでいた四畳半がこのあたりだった。窓から富士山も見えることもあった屋。押入れがこのへんで。角部屋でなかなかお気に入りのでしたが。感慨深いものがありましたね。私の青春時代の4年間がここにあった。
入り浸っていたヤマニ・レコードの姿も今はなく。ヤマニ・レコードのおばちゃんにも合いたかったのに。利用してた銭湯はまだあるそうです。角の八百屋さんは閉店したとか。コカコーラのホームサイズをよく買っていたものです。そこの子どもは手にヴァイオリン。ちょっと小太りだったかな、僕ちゃん。お土産に長崎から取り寄せたというたんかんを頂きました。おかあさんにもと。いやー思いきって訪ねてよかった。まだご健在でした。おばちゃんはおばあちゃんになっていましたが・・・再訪を約束してお別れ。
私のiPodには明大前物語のタイトルで当時聴いていた曲ばかり入れて楽しんでおります。シンガー・ソングライターの時代でした。ニール・ヤングの孤独の旅路がその後のテーマになりました。がそろそろ終わりが。
