イメージ 1
イメージ 2東芝音工 LLP-80462 \2000 1971 スティーライ・スパン
プリーズ・トゥ・シー・ザ・キング
 
SIDE ONE
1. THE BLACKSMITH
2. COLD, HAILY, WINDY NIGHT
3. JIGS BRYAN O'LYNN
   THE HAG WITH THE MONEY
4. PRINCE CHARIE STUART
5 THE BOYS OF BEDLAM
 
SIDE TWO
1. FALSE KNIGHT ON THE ROAD
2. THE LARK IN THE MORNING
3. FEMALE DRUMMER
4. THE KING
5. LOVELY ON THE WATER
 
スティーライ・スパン(Steeleye Span)は、英国のトラッド・ロックバンド。元フェアポート・コンベンションのアシュリー・ハッチングスを中心に結成され、1970年にデビュー。イギリスの伝承音楽にエレキ・ギターとドラムスを取り入れた音楽性。フェアポート・コンベンションにサンディー・デニーがいたようにスティーライ・スパンにはマデイ・プライアがいましたね。トラッドだけに限ればマデイ・プライアの方が合ってるように思います。透明感のある声が素敵なんですよ。トータルの魅力はサンディー・デニーですが。
 
調べたら
 
フェアポート・コンヴェンションを脱退したアシュリー・ハッチングスは、1969年イングランド人夫婦のマディ・プライアとティム・ハート、アイルランド人夫婦のテリー・ウッズ(元スウィニーズ・メン)とゲイ・ウッズと共にスティーライ・スパンを結成。フェアポート・コンヴェンションと同様、エレクトリックギターを用いたトラッドを指向したが、スティーライ・スパンは、ドラマーを含まない編成を特徴としていた(ただし、デビュー・アルバムではフェアポート・コンヴェンションのドラマーであるデイヴ・マタックスがゲスト参加)。
バンドは、イングランド南西部のウィルトシャーで共同生活をしながら活動し[1]1970年にデビューを果たすが、間もなくウッズ夫妻が脱退。2人はウッズ・バンドやゲイ&テリー・ウッズ名義で活動し、テリーは後にザ・ポーグスの正式メンバーとなる。バンドはマーティン・カーシーとピーター・ナイトを迎えて活動を続け、セカンド・アルバム『Please to See the King』(1971年)で、全英アルバム・チャートへのチャート・インを果たす(最高45位)[2]。しかし、次作『Ten Man Mop, or Mr. Reservoir Butler Rides Again』(1972年)を最後に、アシュリーとマーティンの2人が脱退。
リック・ケンプとボブ・ジョンソンを加えた編成で、2枚のアルバムを発表した後、スティーライ・スパンは、同バンド史上初のドラマーとしてナイジェル・ピーグラムを迎えて6人編成となる。バンドはロック色を強め、ナイジェル在籍時としては第1弾のアルバム『Now We Are Six』(1974年)は、デヴィッド・ボウイサックスでゲスト参加[3]。更に、1975年発表の8作目『All Around My Hat』は、全英7位に達するヒット作となり、タイトル曲もシングル・カットされて全英5位に達した[2]
1976年にはボブ・ジョンソンとピーター・ナイトが脱退。その後、ジョン・カークパトリックが加入し、また、1972年に脱退したマーティン・カーシーが復帰した編成で『Storm Force Ten』(1977年)を発表するが、1978年には一度解散。同年、マディ・プライアは初のソロ・アルバム『Woman in the Wings』発表。
 
30数年前に新潟の中古レコード屋さんで購入して以来の再会だ。前のはトラッドの人に譲ったのだったか。
私は素朴な版画のジャケが気にいってたので再びゲットだ。