2歳の頃…母のお腹の中に妹がいて
とっても楽しみにしていたのを覚えている
お腹にいっつも触ってた
話しかけたり、なでなでしたり
その頃のわたしはなにやらとても面白い子だったらしく
録音が残っていて…
まだ祖母が生きていた頃に聞かせてもらった
そこにはものすご〜くよく喋るわたし
あのね、これね、それでね、それからね。。。
おばあちゃんだいすき。
おじいちゃんもだいすき。
パパもだーいすき。
ママもだーいすき。
これから妹が出てくるでしょー。
ほんとにかわいくってね。だーいすき。
わだし、アホだな…(笑)
小さな頃から…大人たちそれぞれが
本当はなにを望んでいて
本当はだれが心の中心にいて
自覚はなくても順番があったりっていうのを
よくわかっていた
目の中にそれがあった
話すことにそれがあった
その顔にそれがあった
あの人は嘘をついてる
そういうことがよくわかっていた
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先日ある本を読んでいて…なんの刺激を受けたのか、
頭痛がしてきて思い出したこと。
それから…これまでもこの先も。
あまりにもみなが自分自身でさえもどうなっていくのか
わからないにもほどがあって…
なんとなく感覚でこうなってゆくって
どこかで感じているはずなのに
それに対して何もしようとせず。
日々がいかに楽しめるか…に勤しんでいる
あぁしたい、こうしたい、
自らの喜びを追求する
その積み重ねが死への準備というか
死に向かって生き生きと生きていくことだと…
それもある意味いいと思う。
でも。実はその中にある漠然と抱える恐れ
それからその恐怖からの行動
それらについては。
自らの内に目を向けることがない…
結果変現する怒りのタネは。
別のカタチになってヒトを攻撃する
そしてまたそれがひとの怒りを生む
優劣を指し示すことは
自分の中にある恐怖が生む防御の行動
正当化されて…自信を重ねる
そういうことがどうもひっかかる
なぜ本当の気持ちを無視するの?
なんで本当のことを言わないの?
なぜほんとうの思いを自分ですくってあげないの?
悲しみの雨を降らせないで欲しい
恐れからくる怒りの嵐を呼ばないで欲しい
そしてそれらに対し祈りを捧げているものもたくさんいるのだと思わないで欲しい
それでは足りないからだ
みながそれぞれに持つものを見ない限り
回避できないのだ
なんにでもただ優しさが必要なわけではない
完全なる溢れ続ける愛と
見定められる識別の感覚と
そして厳しく冷静な会話もまた多分に必要なもの
ふと流れて溢れてきた言葉たちとその記憶。
メッセージはすべて折り重なって
この後の世を想うものの声。