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僕は世界を変えようと思う。
ってか、現在進行形で変えている。
でも今は現実味がない。
そりゃそうだよ、話が大きすぎるもの。笑

はい。って事で始めまーす。笑
皆さんは『イメージング』という言葉を聞いたことはあるだろうか?
違う。『アメイジング』ではない。それはスパイダーマンの方だ。



『イメージ』の進化系の『イメージング』だ。
ポケモンだったら『イメージ』から『イメーザ』と進化してきてからの『イメージング』だ。

待て待て、これじゃ世界を変える前に、話題ばっかりどんどん変わってしまっている。
もはや何の話だ。
あ、『イメージング』の話だ。


僕はいつだったか思い出せないくらい前(多分中学生時代とか)に夜更かしをしていて、そんな番組を観た。、、記憶が、あるようなないような。でもなぜかずーっと頭の中にふわーって残っていた。
確か、オリンピックの金メダリスト(誰だったかは忘れた)のメンタルトレーナーの方が視聴者に講義形式で話を進めていくという番組だった。

内容としては、自分が試合に勝って表彰台に上がっている姿を想像するのは並のイメージで、もっと先の、試合に勝った次の日の朝ごはんを食べている自分をできるだけリアルに想像するというのが『イメージング』だ!というもの。
何を食べて、どんな匂いがして、どんな気持ちで、どんな気分で。。とできるだけリアルに。そうすると、『目標を達成することが通過点になる。』みたいな話だった。

イメージのレベルを1段階上げるとか、もう1つ先の世界を見る感じだなーっていうふわっとした解釈だった。そういうのもあるのかー的な。
それが最近、自分の中でストンと腑に落ちた。

今年は今までの1年よりもたくさんの本を読んだ1年だったと思う。これからも読書の量が減ることはないなって思うくらい、読書が今まで以上に生活に入り込んできた。より良い生活をする為の読書のはずが、読書すること自体が楽しくなっちゃうっていう本末転倒のやつ。本だけに。苦笑

あー全然話が進まない。笑

学ぶことが楽しくていろんなジャンルの本を読んだ。『学び』については僕の中で結構衝撃だったのでまたの機会に詳しくブログに書こうと思う。今のうちに、ブログを書いて投稿した後にラーメンを食べている自分までリアルに想像しておこうと思う。イメージングすれば願いは叶う。



学びで1番大事なのは『え、何で?』と言う『問い』だと僕は思う。
小さい子がお父さんにやるあれだ。
可愛く言うと、なんでなんで星人
かっこよく言うと、知的好奇心だ。
ただし、なぜラーメン?っていう疑問だけはくれぐれも持たないでほしい。
でも学びの本質はここにある。『なぜ?』と問うこと。そしてまた学ぶ。学んでは問うて、問うては学ぶ。まさに『学問』である。(言いたがり)


なぜ?(Why)という問いは、5W1H(Whatなにを、Whenいつ、Whereどこで、 Who誰が、 Howどのように、Whyなぜ)のなかで唯一、『本質に近づく』ことができる言葉だ。


例えば、『ダイエットをしたい』という人がいたとする。

ダイエットしたい(Why→)見た目をよくしたい(Why→)自信をつけたい(Why→)モテたい(Why→)もっと幸せに暮らしたい。。。などだ。

これはあくまでも例だが『ダイエットをしたい』という人がWhyを繰り返すと、本質的には『もっと幸せに暮らしたい』だったことがわかる。

逆に言ったら、『幸せに暮らす』為の具体的な方法としての『ダイエット』だ。

『ダイエット』が具体的な方法だとすると
『幸せに暮らす』はかなり抽象的と言える。

具体の対義語は抽象だ。


世の中は抽象的であることを嫌う傾向がある。具体的に言うとどういうこと?などだ。でも抽象的に考えるということはとても大切で、それができると違う見方ができるようになる。


いかにも勉強っぽくなってしまっているが、ついてきてほしい。
なんせ今僕は、学ぶのが楽しくて仕方ない。ハイになっている。


物事は本質に近づくほど(抽象的になればなるほど)結論がシンプルになり、具体的であればあるほどたくさんの方法がでてくる。


先ほどのダイエットの例で言えば、より本質に近い『幸せに暮らす』は数少ないが、その為の具体的な方法は何個もあって、その中の1つとしての『ダイエット』という事になる。

『幸せに暮らす』ことが目的であるならば、『お金を稼ぐ』でも『旅に出る』でも『一日中本を読んで過ごす』でも良い。その人の尺度によって変わってくる。
ただその人が『幸せに暮らす』為の具体的な方法としてダイエットを選んだということである。


まぁ何が言いたいかというと、物事の考え方には『階層』があって、『なぜ?』と問うと、本質に近づけるよという話だ。


今書いた汚い図で申し訳ないです。笑
そして、幸せに暮らす為の方法の1つ目でモテるが来ちゃうあたり、もう男ってばかねって感じ。笑


ToDoリストというものがある。やるべき事の一覧表だ。これを作って満足してしまうという人も多いのではないだろうか。
それよりも、もっと大事なのは、To Be(どうなりたいか)なんだと思う。
この、『どうなりたいか』というのは会社でいうところの、『理念』とか『哲学』にあたる。
僕のブログではお馴染みのスターバックスは『サードプレイス(家と職場の間の第三の居場所)になる』という理念(To Be)がある。
これはかなり抽象的でざっくりしているが、その為の具体的な方法(To Do)として
椅子と椅子の距離をなるべく離す
積極的な声かけや気遣い
何度も新しくなる限定のフラペチーノ、、など数々の方法でその理念を実現しようとしている。
こんな風に、『どうなりたいか(To Be)』というあるべき姿があるからこそ、その為には何をすべきか(To Do)が見えてくる。。。


『理念』や『こうあるべき』っていうのが明確にあると、何かを成し遂げたとしても終わる事はなくなる。
「この人と結婚する」は手段で
「この人と幸せに暮らす」は理念になる。
結婚して終わりじゃなく、2人で幸せに暮らしていくことが最大の目的だ。


もう1つ先の目的を思い描く。
今自分達がやろうとしている事のもう一つ先だ。
なるほど!


これはあれだ。


そう




じゃなくて

そう、『イメージング』だ。



成功する人は『夢』ではなくて『壮大な未来』を描いている。
もっと先、もっと上の階層を見てる。


例を上げ始めたらキリがないが、昔こんな事を聞いた。
僕が浦和レッズに在籍していた頃、槙野くんがゴールパフォーマンスを考えていた。その仕込みをせっせとしている時にぽろっと、『ゴールパフォーマンス仕込むとなぜか点取れるんよねー』と呟いていたことがある。
今思えば、これとかまさに『イメージング』である。
ナチュラルイメージング。
『パフォーマンスをする』という1つ先をよりリアルに思い描くことで、もともとの『ゴール』が通過点になる。


『いじめをなくす』という目標があって、いじめ撲滅ポスターや道徳の授業をしたところでいじめはなくなっていない。でも今は、そのポスターの数をもっと増やそう、とか、道徳の授業で扱う教材がどうのこうの言ってるように感じる。
そもそもさ、やり方が違うんじゃない?

じゃあいじめをなくす為にはどうすればいいのか。
他の具体的な方法を考えていくことはもちろん大切だと思う。
でもここで階層を1つあげてみる。
例えば『生徒たちに最高の学生ライフを提供する』とかに。
そしたら『イベントの数を増やす』とか『人気講師を迎えて授業をする』とか他の具体的な方法が出てくるんじゃないかなって。
だっていじめる子ってのは日々の学校生活がつまんないからいじめるんでしょ?


冒頭、僕の面白い小ボケに出てきた『本末転倒』もそう。
例えば会社とかの会議の資料作りなどがそれだ。もともと会議を良いものにする為の資料作りだったはずが、資料を作ることが目的になってしまって、資料作成やらコピーやらに何時間も時間を取られてしまい会議に身が入らなくなってしまったり。もっと言ったら、会議をすることの目的は『何かを生み出す』ことであってそのために資料なんていらない場合もあるだろう。でも『資料を作る』というタスクが1人歩きしてしまっている。。みたいな。


1番身近なもので言えば『挨拶』などもそうだ。挨拶をする意味はなんだろう?『挨拶すること』だけが1人歩きしてしまっている人が多すぎないか?


こんな感じで、本当にいたる所に具体と抽象は隠れてる。
だから大切なのは、『問う』ことだ。そもそも目的はなんだっけ?
これ方法あってるの?
え、なんで?って。

今「常識」とされているもの、「普通」に疑問を持ち、本質を見つけて、よりいい方法を考える。このプロセスが楽しいんだ。


これは仕事、チームといった、集団にも言えることだ。
サッカーはチームの勝利という目的の為に、各々が与えられた役割をこなす。
全員が全員、強いところもあれば弱いところもある。それが『個性』だ。1人でなんでもできるなら、一緒にやる必要なんてない。でも人は1人じゃ生きれない。
だから協力して皆んなで1つのことを成し遂げようとするんだ。

弓矢職人と狩人の話
歳は取ったが弓矢を作るのがすこぶる上手い老人の弓矢職人がいるとする。

いきなりどうした!ってなってると思うけど、強引にいるとした。

そして
長い時間動き回れて力もある若い狩人がいるとする。

お互いに生きて行く為には、獲物をとる必要がある。弓矢職人の老人は良い弓矢は作れるが狩に行っても獲物を取れる体力が無い。
若い狩人は一日中動き回れるが、獲物を狩る為のツールが無い。
(写真の若者は多分、弓矢なんていらないけど!むしろ1人で生きていけます!って感じだけど!笑)

だからお互いに協力しようぜ!良い弓矢めっちゃ作ってそれ若い奴らにたくさん配るからガンガン動いてたくさん獲物狩ってきて!ってのがそもそもの『仕事』の形だ。

俺は俺のやるべき事をやるよ。って、各々が自分の得意分野に熱中する。
そうなると効率が上がる。だから昔は部族ごとにまとまって生活をしていたんだ。

全ては『生きる』という究極の目的を果たす為に。各々が自分の強みと弱みを理解して、お互いに協力する。


でも今はこんな風に単純にいかない。まず人の数が多いし、やるべき事もたくさんある。物事は複雑に絡んでて、ムカつく上司がいたり、自分の仕事に口出しされたり。そもそも自分の仕事がわかってないやつだっている。


弓矢職人と狩人の話で言えば、『どうすればもっと良い獲物をたくさん狩れるか』を、お互いに意見を出し合って考えることは必要だが、もっといい弓矢を作れ!や、もっと獲物を取ってこい!などと相手の領域のことまで口出し始めると話がややこしくなる。お互いの仕事を認めて、獲物が取れない日があったりすることも受け入れることも必要になってくる。


僕は仕事としてサッカーをしている。
サッカーとはなんだろう。
なんのためにするんだろう。
サッカーはエンターテインメントだ。
娯楽である。

究極、人が生きるためには必要ないかもしれない。
でも、このめんどくさくて憂鬱な世の中を生きている人々を、ほんの一瞬でも熱狂させ、嫌なことを忘れさせることができるとしたら、エンターテインメント、サッカーは今の時代に、絶対に必要なものだと思う。

なぜサッカーをするのか。
それは人々に、日常では味わえない非日常体験を届け、ほんの少しでも幸せになってもらい、クラブがあるその街を少しでも盛り上げる為である。

街には、たくさんのお店がある。
カレー屋さんもあれば、床屋さんだって。
多分、お店をやっている人たちは、みんな各々の方法で街を盛り上げ、幸せにしようとしているんだと思う。この街を少しでも盛り上げて、より幸せに生きるという1つの目的に向かって。
もちろん、お金目当てでやってるやつもいる。
でもそれも、回り回って街をよくするものだと受け入れてさ。それで損することもあるかもしれないよ。でも全てはこの街を幸せにするための具体的な方法の1つにすぎないんだよ。
大丈夫、ドンと行こう。

まずは自分。

今いる場所で最大限幸せを感じよう。

次は恋人や家族。
自分の身の回りの、本当に近くの人でいいからさ、全力で幸せを届けに行こうよ。


もし余裕があったら

もう少し先の、知らない人にも。
少しでいいから。
そうやってどんどん広がっていくはずだから。



具体的な方法はさ、自分の一番得意なことでいいよ。
今やってる事。好きな事。
それをとことんやり続けよう。

僕がいろんな想いを込めて蹴ったボールがさ、カレー屋さんの作った一杯のカレーがさ、床屋さんにいけてる髪型にしてもらった人達がさ、回り回って誰かを少し幸せにしているんだよ。

めっちゃ素敵じゃない?

たまに道を迷ったときは、なぜ?って自分に問いかけて、また一歩づつでいいから歩きだそうよ。

でも必ず、本質(目的)は見極めなきゃダメだよ。
良い手段は正しい目的地に向けないと大変なことになるからね。
飛行機に乗っていたとしても、目的地が間違っていたら、最速でとんでもないところに着いちゃうからね。

まず目的地をしっかり見極める。
それができれば、車でも自転車でも歩いてでも転がってでも踊りながらでも(結構いい考えかも)這いつくばってでもへばりついてでもなんでもいいよ。
ほんのちょっとでも進み続ければさ、いつかは着くから。
でもどうせなら愉快に行こう。

めっちゃ少しづつだけど、これが結局一番早いんだよ。最近そう思う。




さぁ!みんなでさ、




世界を変えに行こうよ。









たくさんの事を書いてきたけど、結局言いたいことは

Love is all.

って事さ。笑





このブログを書くにあたってイメージングとはなんぞやってなって関連してる本とかも5冊くらい読んで、厳密に言ったら潜在意識とか禅の世界とかまで出てきちゃって、学び始めたらキリなくて、かなり省略して書きました。
またそういうのも個別で書いていこうと思いまーす!じゃあまた!