危険な人口甘味料とうつ

 

 前回はカフェインがうつ状態を助長することについて書きましたが、今回は人口甘味料について書きます。


 昨年に入ってぐらいから、わたしがコーラやコーヒーといった飲料から遠のくきっかけになったのは、カフェインと人口甘味料でした。でも、そのときは人口甘味料がどのように心身に影響があるのかはわかりませんでした。ただ気分が重く、疲労感を覚えるのは、炭酸の抜けたコーラのあの独特の強い甘さではないか?と思ったのです。そして、もう飲みたくないな、と感じるのは、体の声だったのだと思います。

 

 最近になって、人口甘味料について調べてみたところ、やっぱり同じような効果があることがわかりました。

 

 人口甘味料は企業のために作られたものです。理由は主にふたつ。ひとつは、ダイエット食品や飲料のために、甘さは感じられるけれどカロリーはゼロに近い砂糖のかわりになるものが必要だったため。もうひとつは、実際に砂糖を使うとなると莫大な量、したがって莫大なコストがかかるため。

 

 人口甘味料は、アスパルテーム、サッカリン、スクラロース、ネオテームなどが有名で、砂糖の30~8000倍の甘さがあり、指先にほんのちょっとつけたのを舐めるのさえ、大変危険なものだそうです。このなかでももっとも使用されているのが、アスパルテーム。「甘味料(アスパルテーム)というように表示されています。

 

 最近の研究では、砂糖を摂取するよりも人口甘味料を摂取するほうが血糖値が上昇し、糖尿病のリスクが高くなってしまうという結果が出ています。また、人口甘味料は味覚を鈍らせてしまう作用があるので、ほかの食品の甘さに満足できず、もっともっと甘いものがほしいという悪循環に陥ってしまうという研究結果もあります。人口甘味料の甘さには依存性があり、今あげたこれらの要素があわさって、ダイエットのために利用していたのに逆に肥満を呼び寄せてしまうという結果になるらしいのです。

 

 ちなみにうつ状態のときは甘いものを欲する傾向があり、その甘さを人口甘味料から得てしまうと、このようなリスクをどんどん高めてしまいます。

 

 そして、人口甘味料は脳内物質のセロトニン(精神を落ち着かせる作用がある)の分泌をブロックしたり、頭痛や不眠症を引き起こしたりする作用があるらしいのです。これは、スターシードの人たち、とくにインディゴの人たちには命取りになる物質です。彼らの繊細で鋭い神経が化学物質によってかき乱され、彼ら特有の強い直観力や透視、予知能力を潰してしまいます。

 

 かわりに、ステビアやトレハロースというのは自然甘味料なので、安全ということです。覚えておくと便利ですね。(ただ、スピリチュアルな世界では砂糖も刺激物質なので、あまり摂取しないほうがいいらしいのです。わたしはまだ甘いものが好きで、やめられませんが。)

 

 これはわたしの個人的な思いなのですが、なんとなく人口甘味料やカフェインといった化学物質を生まれる前から摂取し続けていると、長い時間をかけていろいろな恐いプロセスが心身(脳内)のなかで行われているような気がするのです。(実際、アスパルテームのなかに含まれるフェニルアラニンという物質は、実験段階のネズミの脳に穴があいたり、てんかんを引き起こしたりしたそうです。) 生まれたときには便秘とか偏頭痛、めまい、神経痛といったものがない健康体だったのに、気がついたらいろいろな症状が出るようになったりするのは、長い時間をかけて行われたプロセスの結果なのではないかと。

 

 昨年ぐらいから食品に関してはかなり意識するようになりました。それまではほんとうにジャンクなものばかり、たとえばインスタントラーメンや人口甘味料の入ったソーダや菓子パンが大好きでしたが、考え直すことが多くなった最近です。スーパーに行くと、食品の表示をしっかりチェックするようになりました。






 オーケストラの幽霊

 

 わたしが高校生のときの話です。オーケストラの高いチケットをたまたま運良く貰ったので、その日はひとりで会場に出かけました。一番前から7~8列目ぐらいの、真ん中に近い席でした。

 

 曲目が始まり、会場は厳かな雰囲気です。そして、オーケストラの前から2列目の椅子に座っている、大柄の金髪の白人青年。年齢は20代後半に入るかどうかという感じ。すごく近かったので、目の色がブルーだったのも覚えています。不思議なのは、ほかの団員と同じように黒い燕尾服を着てはいるのですが、彼はなんの楽器も持っていません。

 

 表情は呆然としていて、青ざめているようにも感じられます。たまに、わたしに微笑みかけてくるようにも見えます。明らかに目が合うという感じで、これだけたくさんのお客さんがいるのにどうしてわたしとこんなに目が合うんだろう?とひどく困惑したのを覚えています。またもうひとつ不思議なのは、どう考えても尋常ならざる事態に思えるのに、彼の周りの団員の人たちはなにも起きてないかのように自分の演奏に集中しているのです。彼の周りはヴァイオリンとかビオラとかいった楽器でした。わたし以外のお客さんもそれを見ていて、どうしてざわめかないのだろう?と思い、多分この厳かな雰囲気を乱してはいけないと、なにも起きてない様子を努めているのだろうと思ったものです。

 

 それでわたしはこう結論づけました。彼は突然、オーケストラを解雇されて、それに反抗して自分の椅子に居座っているのだろうと思いました。ほかの団員も彼のことを相手にしていないのだろうと。

 

 その金髪の青年は2,3度、席から立ち上がって、裏方に消えることもあり、わたしはほっと安心するのですが、彼はやがて戻ってきます。お客さんの拍手にほかの団員たちがみんな立ち上がって挨拶しようとすると、彼も一緒に立ち上がったりもします。そしてずっとわたしと正面から目が合い続けるものだから、わたしも彼からほとんど目が離せません。ずっとこの状態が続いたので、わたしはまったくコンサートに集中することができませんでした。

 

 「あれって、お化けだったんだ…」と気づいたのは、それから10年後ぐらいのことです。それでようやく、あぁ、だからほかのオーケストラの団員も、わたし以外のお客さんもなにも起きてないような様子だったんだ…と納得がいきました。気づくのが遅すぎるとは思うのですが、ほんとうに、彼はどう見ても生きてる人間にしか見えなかったんです。多分、ほかのお客さんには誰も座っていない椅子が見えていたんでしょうね。そして、彼にしてみれば、見えないはずの自分が見えている様子の女の子が不思議だったのでしょう。

 

 あのオーケストラの青年のことはたまに思い出すと、どうしてるんだろう?と思ったりします。元気にしているかな?と思うたびに、いや、もう死んでると思いなおします。彼はとても人の良さそうな青年だったから、きっと成仏しているはず。あのときはただ、自分の突然の死が信じられなく、呆然としてしまったのでしょう。でもどうしてわたしには見えたんだろう?と不思議に思い、多分、あの会場ではわたし以外にも見えていた人はいるに違いないと思うのです。

 

 今後もスピリチュアルエッセイでは、このような不思議な内容も書いていきます。

 


 夢のなかで眠っている夢

 わたしはバスや電車に乗っている夢をよく見ます。何日間か続くことがあります。とくに2013年に入るすこし前から、2013年の6月ぐらいまでは毎日のように夢のなかでバスや電車に乗っていました。シートに沈みこみ、気持ちよく揺られながら眠っているのです。ほかの乗客もいたりして、そのなかにわたしと同じように眠っている人もいます。上に挙げた期間はちょうど、原因不明の微熱に悩まされ、体じゅうがずぅ~っとだるい状態でした。

 その期間が過ぎても、同じような夢はよく見ます。バスや電車のなかで、わたしはやはりとても気持ちよく揺られながら、眠っているのです。つい最近も、映画館のような場所で隣の男の子とぐったりもたれあって、眠っている夢を見ました。今でも思い出すと、彼の体の重みを感じるぐらいリアルです。このときも、体調が最悪の状態でした。(とうとう花粉症か…と思ったら、まさかの風邪でした。)

 というわけで、この夢のなかで眠っている夢というのは、心身ともに疲れているときに見る夢なんだとわかるようになりました。あまりにも疲労が重いときは、夢のなかで風邪薬のようなものを飲み、布団のなかで眠っていることもあります。この前は手術を受けている夢でした。

 やっぱり、ひとつの夢の内容が、すべての人に共通するわけではないみたいです。たとえば、ひとりひとりのバスに対するイメージは違うので、夢の意味合いも違ってくるのです。わたしの場合、バスや電車というのは交通手段というよりも、冒険に出かけるときのようなワクワクするイメージがあります。なので、わたしがバスや電車のなかで眠っているということは、これから冒険のようにワクワクする現実を迎えるために、心や体を休めておこう、という意味になります。スピリチュアルなメッセージももちろん、込められているんでしょう。

 枕元に紙とペンを置いておいて、目が覚めたときにメモをしておくと、夢を思い出しやすくなります。夢を思い出すという習慣ができると、夢はとてもリアルで鮮明になってきます。毎日、夢の内容を自然に覚えているぐらいです。
 
  カフェインはうつを助長する?

 わたしはもともと大のコーラ好きでしたが、ほとんど飲まなくなりました。以前は朝から朝食とともに飲み、夜食のときはもちろん、夜中に喉が渇いて飲むというようなこともありました。それだけコーラが大好きで、とにかく水よりもたくさん飲んでいたときもあるのではないかと思います。またコーヒーも大好きで、毎日かならず1~2杯飲んでいました。
 
 しかし、昨年に入ってぐらいからなんとなく、精神的に影響を感じるようになったのです。たとえば、カフェインを取ると気分が重く、また疲労感を覚えるのです。ほんとうのところはわかりませんでしたが、自然にコーラやコーヒーから遠のいていきました。たぶん、直感のようなものが働いたのだと思います。

 そんなとき、ちょうどアメリカのさまざまな研究機関で、カフェインの影響について発表されているのを知りました。カフェインには神経を興奮させる作用があり、中毒になるという説はよく耳にすることです。しかし、最近の研究結果では、不安感や苛々感、落ち着きのなさや不眠症などを引き起こすと言われているのです。これはうつ状態にある人々にとって、症状を助長するということでした。また、心身ともに疲れているときにカフェインを摂取すると気分の不安定を引き起こすことも言われています。

 ただ、毎日のようにカフェインを摂取している場合、突然やめることは逆に頭痛や苛々感、疲労感のような禁断症状を引き起こすことがあるので、まず量を減らすことから始めてみるといいかもしれません。量が減っていくにしたがって、カフェインの影響がどのように出ていたかわかるのだろうと思います。

 カフェインはココアや紅茶、ミルクティー、チョコレートなどにも入っています。わたしの場合、チョコレートはまだまだ大好きでやめられないのでとりあえず、量を調節するようにしています。どうしてもコーヒーが飲みたくなったら、麦茶をかなり濃い目に淹れ、それに砂糖とミルクを入れる、ミルクティが飲みたくなったら、ルイボスティーに砂糖とミルクを入れると代用品になるそうです。もちろん麦茶もルイボスティにもカフェインは入っていません。

 長い間カフェインの入っている飲み物を飲んでなくて、久しぶりに飲むと、神経のピリピリする感覚を強く意識するようになりました。またうっすら頭が痛くなるような感じもします。もちろんコーヒーやコーラを飲みたくなることはありますが、神経にたいする影響を考えると我慢できます。あるいは、開き直って飲むということもあります。半年に1回ぐらいです。

 これはわたし個人の感想ですが、日常的に摂取していたコーヒーやコーラをやめてから、なんとなく神経的にピリピリした感覚がかなり減ったように思います。

 ちなみに、カフェインはスピリチュアルな世界では波動が低い物質で、たくさん摂取しているとインスピレーションが入りにくくなるそうです。インスピレーションを邪魔し、エゴの不安定な思考に支配されやすくなってしまうということです。



私の中のあなた [DVD]/キャメロン・ディアス,アビゲイル・ブレスリン,アレック・ボールドウィン
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 2009年公開のアメリカ映画。幼くして白血病にかかってしまった女の子、ケイト。ケイトのために遺伝子操作で生まれ、骨髄移植や輸血をする妹のアナ。

 11歳のアナはある日、両親を訴え、ケイトの腎臓のドナーになることを拒否する。それは自分の姉の命を絶つことに繋がるとわかっていても・・・。自分の子供であればなんとしてでも延命を望むのが母親(キャメロン・ディアス)という立場と、その状況のなかでの家族のひとりひとりが抱える重荷、とにかく考えさせられる映画です。また、ケイトの病と闘いながらも、周りの人々を癒す天使のような笑顔、そしてほのかな希望の光となるボーイフレンドとの時間が悲しくも美しい映像で綴られていきます。やがて訪れる衝撃の展開はだれも予想できないことでしょう。
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 2005年公開のチャズ・パルミンテリ監督によるアメリカ映画。(原題はNOEL) クリスマスイヴに男女数人の出来事がそれぞれに展開しながら交差していきます。
 
 離婚を経験してからというもの、これといって浮いた話もなく、仕事詰めで、病院に入院している母を献身的に訪れるばかりの日々のローズ(スーザン・サランドン)は出版社に勤める中年女性。彼女の母は娘がだれであるかもわからず、ひと言も言葉を発さず、食事さえしようとしない。それでもローズは愚痴をひとつもこぼすことなく、自分にできることをやるのだった。
 
 幸せではあったが、婚約者のマイク(ポール・ウォーカー)による異常なほどの嫉妬心と束縛で今にも窒息しそうな勢いのニーナ(ペネロペ・クルス)はひょんなことからローズと出会うことになる。ローズに心情を吐露するうちに、彼女は自分のほんとうの気持ちに気づいていく。
 
 子供のころ、クリスマスイヴに病院で過ごしたクリスマスパーティの楽しさが忘れられず、また同じクリスマスを過ごしたくて、苦闘しながら策を練る青年(マーカス・トーマス)。また、幻想のなかに生きる老人アーティ(アラン・アーキン)とニーナの恋人のマイクとの混乱に満ちたやりとり。彼らを観ているだけで、とにかく痛々しくてせつない気持ちにさせられる。クリスマスのあたたかい光に満ちた幸せを描いているというよりは、雪の降るいまにも凍りつきそうなニューヨークを舞台にそれぞれの不幸が悲痛ながらも展開していきます。しかしやがて、彼らの出来事がしだいに交差しながら、希望の光に向かってゆっくり進んでいくようすはクリスマスの魔法の火が灯されていくのを見るよう。クリスマスではなくても観たくなる、静かな感動が沸き立ってくる作品です。
アバウト・ア・ボーイ [DVD]/ヒュー・グラント,レイチェル・ワイズ,トニ・コレット
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 2002年公開のポール・ワイツ監督とクリス・ワイツ監督によるアメリカ映画。(原題はAbout A Boy) 38歳の中年男、ウィル・フリーマン(ヒュー・グラント)は親の遺産のおかげで働く必要がなく、毎日好きな音楽やファッションに囲まれて自由自適に暮らしていた。一流のレストランで食事をし、定期的に美容院に通ってヘアスタイルを維持する、だれにも束縛されず深入りしない恋愛関係、そのように彼のライフスタイル哲学はまさに城のように聳えていた。そのため、恋人探しの方法も、シングルマザーであれば男に飢えているはずで簡単だからということで、シングルマザーの自助グループに自分もシングルファーザーだと偽って参加することにする。

 その自助グループを通じて、ある日、母子家庭の子供たちとともに公園へピクニックへ出かけるのだが、そのなかにマーカス(ニコラス・ホルト)という12歳の少年がいた。マーカスはどこか冴えず野暮ったいが、彼の母親の不安定な精神性のために彼の人生にもいろいろな影が投げかけられていることにウィルは気づいていく。やがてマーカスはウィルの部屋に度々やって来るようになり、ウィルは面倒臭がりながらも彼を部屋に入れてやるようになる。そのなかで、自分の息子ほどの年齢の少年の世界とウィルの世界がユーモラスにあたたかく交差していくようすは微笑ましい。自分を取り巻く複雑で暗雲のたれこめた環境にもめげず、純粋に健気にまっすぐ立ち向かっていくマーカスのハートがウィルもふくめ、周りの大人たちの固くこわばってしまった心を溶かしていきます。

 ヒュー・グラント演じる中年男の身勝手な性格には溜息を洩らしてしまうけれど、場面が展開していくうちにどうも憎めない、だんだん愛らしく、応援さえしたくなってくる。それはどんな大人もウィルのように「ほんとうはわかってるんだけどね…、でも今さら変える勇気がないよ」と諦めてしまっている部分を持っているからなのかもしれません。

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 カーク・ジョーンズ監督による2009年制作のアメリカ映画。日本では未公開。 (原題はEverybody's Fine) ジュゼッペ・トルナトーレ監督による1990年にイタリアで制作された「みんな元気」のリメイク版。
 
 妻に先立たれ、退職もし、広い庭のある家を手入れしたり、スーパーへひとり買い物に行ったりしながら日々を過ごすフランク(ロバート・デ・ニーロ)はその年の感謝祭に子供たちがひとりも帰省しないことを知る。彼らはみな忙しそうだった。フランクはがっかりしたものの、では自分がひとりひとりにサプライズでようすを見に行こうと思い立つ。心臓に持病を抱えていたので、薬を処方してもらい、飛行機には乗らないという条件でアメリカ各州に散らばった子供たちのいる場所へ向かった。

 フランクは電車やバスを乗り継いで、まずニューヨークで絵を描いているデイヴィッド(オースティン・リシ)のところに行くが会えず、つぎに長女のエイミー(ケイト・ベッキンセイル)の家族ではどこかぎくしゃくとしたものを感じ、楽団で指揮をやっているロバート(サム・ロックウェル)のところでは、彼は指揮ではなくドラムを叩いていることを知る。電車やバスを乗り継ぎながら、フランクが電線を作って子供たちを育てあげたことなどを話すようす、ひさしぶりに子供たちの姿を見たときに、彼らの幼い姿をそこに重ね合わせるようす、その幼い姿を思い浮かべるときのフランクの表情が愛情に溢れていてあたたかいながらもどこかせつない。また、親としては自分の夢など考えもせず、ただ子供たちを育てあげようと必死だったのに、子供たちとどこかですれ違っていたようすなどが美しい映像に刻々と描かれている。
 
 社会人となって親から独立した人、家庭を持ち親の立場になった人が観ると、子供と親の両方の立場をひしひしと感じられて胸が痛くなってきます。1度、2度観るごとに、じわじわとせつなく、また「家族っていいな」と思える美しい作品です。
 
檻のなかの子―憎悪にとらわれた少年の物語/トリイ ヘイデン
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檻のなかの子―憎悪にとらわれた少年の物語 (トリイ・ヘイデン文庫)/トリイ ヘイデン
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 トリイ・ヘイデンのノンフィクションシリーズ。(原題はMurphy's Boy 1990年代に流行したマーフィーの法則から、「うまくいかないことはうまくいかない」という法則にちなんで、ケヴィンが自分のことを「自分はマーフィーの法則に基づいた子なんだよ」と言うところから。)(1997年早川書房から出版、トリイ・ヘイデン著488ページ)
 
 水を恐れ入浴もほとんどしないために、顔じゅうや耳にまでひどいにきびが広がり、悪臭を放つうえに、何年も着続けてサイズの合わないくたびれた服、ケヴィンはだれもが後ずさりしていまいそうなほどみすぼらしく醜い少年だった。彼は選択的無言症として何年も言葉を発することがなく、ありとあらゆるものに対する恐怖のために居場所はいつもテーブルの下。彼を保護しているガースンゲイヤーの職員でさえも、みな彼のことを絶望的と考えていた。そんななか、トリイが彼の担当を引き受けることに。彼女は気乗りがしなかった。彼女がいつも担当していたのはちいさな子供たちで、ケヴィンは身長175センチをゆうに超えた15歳。もう子供とは言えなかった。「彼にはわたしの魔法は通用しないだろう」とトリイは思う。それでも彼が話し始めるように、彼女は試行錯誤しながら彼とともに懸命な努力を続けた。
 
 やがて、ケヴィンは話しだす。彼の話す言葉、文法はとても知能に欠陥があるとは思えない。「死んだ猫が土のなかに埋まってるんだ。もう塵になってる。そんなことどうやって喋ればいいんだ? そんなこと、どうやって黙ってればいいんだ?」 ケヴィンの深い世界観、創造性、さらには知能の高さまでがこういった台詞によって表現され、読者の心をどんどん惹き込んでいきます。
 
 そして、ケヴィンには絵の才能もあった。彼がある日、描いたスケッチは少年が描いたものとは思えない、とても精巧なものだったけれど、残忍で凄惨きわまるものだった。やがて彼が自分の檻のなかに閉じ込めていたものは、彼自身だけでなく、凄まじいほどの恐怖、憎悪、怒りだったことがわかる。話すようになり、テーブルの下から出てくるようにはなったものの、彼の精神状態はいつ崩壊するかわからない。とつぜん、発作のようなものに見舞われて暴れ出し、鎮静剤を打たれて何日もうつ状態になる。そんなことが繰り返された。彼に関する資料があまりにも乏しく、過去になにが起きたのかまったくわからなかったが、しだいに義父による壮絶な虐待、また母親の母親とは思えない言動の数々が彼の精神を切り刻んでいった事実がケヴィン自身によって語られていく。
 
 トリイのノンフィクションシリーズは読んでいるといつも、自分までが彼女の教室の生徒のひとりになっているような錯覚に陥る。彼女の深い愛を感じながら、 あたたかい空気のなかで子供たちの笑顔や笑い声がありありと浮かんでくる。しかしこの作品では、それまでのシリーズとは違い、読み進めていくうちに、空が分厚い雲に覆われ、じとじとと暗い雨が降り続けているような感覚に陥ります。あまりにも暗く、あまり にも長くじとじとと冷たい雨が降り続けるので、ケヴィンやトリイたちだけでなく、読者でさえも何度となく希望をなくし滅入ってしまいます。それでもトリイは諦めません。そして ケヴィンも諦めない。
 
 また、トリイがビッグシスター(家庭崩壊している家の子供の面倒をみるボランティア)として、担当することになった10歳のネイティヴアメリカンのチャリティはだれもが敬遠してしまう、生意気で可愛くない女の子。太い三つ編みはいつもほつれ気味、服には食べ物の染みやカスがついていて、遠慮というものを知らずずけずけと物を言う。しかし、彼女もケヴィンと同じく、行き場のない、愛に飢えた子供だということがわかっていきます。そして、このストーリーのなかでは何度か、彼女の知性と思いやりがきりっとした素晴らしい台詞によって表現されます。たとえば、ケヴィンが水の恐怖症について、ときどき見る恐ろしい湖の夢のことを話したとき。「大丈夫だよ、ケヴィン。わたしにもそんな湖があるよ。たぶん、みんな誰でもそんな湖があるんだよ。」 
 
 トリイのノンフィクションシリーズのなかでもとりわけ、この作品が反響を呼んだようです。それは、ケヴィンが自分のまわりに張り巡らせていた強靭な檻を通して、読者たちが自分たちの檻を見たのではないかと思うのです。人はだれでもなんらかの檻を自分の心のなかに秘めていて、それを外の世界に露出させているかいないかの違いなのかもしれない。大人になってしまった心のなかの檻を溶かすことなどできない、とだれもが諦めているなかで、ケヴィンが真っ暗闇のなかのほんの小さな光の点に向かって一歩ずつ、ときには後ずさりし、じっとその場にうずくまってしまいながらも這うように進んでいくようす。世界中で翻訳され、感動を巻き起こしたのは、読者たちがケヴィンを通して、自分たちの檻のなかに閉じ込めていた希望の光を目の当りにしたからなのかもしれません。


ケヴィンの現在


 ケヴィンが現在どうしているのか知りたく、いろいろネットで検索したところ、トリイ・ヘイデンのオフィシャルサイトでわかりました。彼のメッセージを読みたい人はこちらへ。
http://www.torey-hayden.com/japan/murphys_boyj.htm

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 1999年公開のダニエル・マイリック監督とエドゥアルド・サンチェス監督によるアメリカ映画。(原題はThe Blair Witch Project) アメリカ、メリーランド州の大学に通う、映画学専攻の3人は課題のために、魔女伝説のドキュメンタリーを撮影することにした。監督のヘザー、録音担当のジョシュ、カメラ担当のマイクはまず地元の人々に伝説についてインタビューをした後、伝説の舞台となっているバーキッツビルのブラックヒルズの森へ出発した。
 1年後、3人の撮影したテープが森で見つかり、その内容を編集し制作されたのがこの映画である、という始まりになる。
 3人の撮影は順調に進んでいるように思えたが、しだいに、陰鬱な雰囲気を醸す、気味の悪い出来事に遭遇し始める。森のなかに張ったテントで眠っていると、声が聞こえ、足音が聞こえ、朝、目覚めてテントを出ると、木の枝で作られた人形のようなものがたくさん見つかる…、そして彼らは森のなかで彷徨いはじめる。深閑とした森に聞こえるのは彼ら3人の息づかいと枯葉を蹴散らす足音だけなのに、あきらかに、彼ら以外の邪悪な存在が彼らの後ろをどこまでも着実に、じっとり静かに追いかけてくるのだった。監督のヘザーが「夜、目を閉じるのが恐いし、朝、目を開けるのが恐い」という台詞は観ている者をリアルにぞっとさせ、自分も森のなかを狂気とともに彷徨っているような感覚にさせられる。
 モキュメンタリー(架空の素材をドキュメンタリーのように撮影する)という手法を用いたことが大成功となった作品。素人が撮影しているようなカメラワークと映像、キャストもたったの3人、場面のほとんどがどこにでもある森、そして映画制作にはまれなほどの低予算でしたが、作品の終わりのない絶望と恐怖と狂気が世界中で反響を呼びました。心理的に相当迫ってくる作品です。ホラーや気味の悪い映画が苦手な人には絶対におすすめしません。また、1人よりも2人で、2人よりも3人で・・・、観終わったあとは相当はじけるようなコメディ映画を用意しておいたほうがいいですね…。
 
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ちなみに、続編のブレアウィッチ2。1の世界的な成功で夢のような制作費は入ってきたものの…、あのリアルさはどこへ…? 監督は前作と同じダニエル・マ イリックとエドゥアルド・サンチェスですが、彼らは自分たちの意に反して続編が制作されたと話しているようです。興味のある方はどうぞ、観てみてくださ い。