手紙を書くと、その人が夢に現れる

 江原啓之さんが本に書いていました。想いを伝えたい人がいるとき、手紙に書くと、その想いが相手に伝わると。これは念(感情エネルギー)が距離に関係なく、相手に伝わる、というものなのですが、これは真実だと思います。


 念が強い人は、手紙を書かなくても念が飛んでしまうとは思いますが、手紙に書いたほうが伝えたいことを明確にできるんでしょうね。こういうときは、シンプルな文にするといいそうです。


 たとえば、「あのときはごめんなさい。とても反省しています。」という感じ。あまり長くいろいろ書いてしまうと、相手に明確に伝わらなくなるとか。なにを一番伝えたいか?がポイントのようです。


 わたしも今まで、想いを伝えたい人(連絡が取れない人)に手紙を書いてみましたが、その想いが伝わった証拠なのか、その夜にでも夢にその人が現れます。とてもリアルな夢です。大体言葉はなく、そっとハグをすることが多いです。そこですべてが伝わった感じがし、目覚めてからは不思議と心のつかえがとれているのです。


 

 


 白い靄

 夢のなかで連絡のとれない人と会う、の記事では書かなかったのですが、実際に夢のなかで人と会っているときのひとつのサインがあると思います。それは、白い靄(もや)。その人にたいする気持ちが強ければ強いほど、靄は濃くなる気がします。そうなると、靄ではなく、霧(きり)です。


 視界が白い霧(きり)でいっぱいになってなにも見えなくなったとき、相手がふっと現れて、お互いほんとうに現実で再会しているみたいに、驚いているのです。



 頑張らなくても愛される人

 前回の、自分に罰をあたえるような考え方の例を、恋愛をテーマにしてまたひとつあげます。

 たとえば、「素晴らしい人と出会うためには、自分もその人に見合うだけの素晴らしい女性にならなければいけない」という考え方がたくさんの本に書かれています。たしかに、類は類を呼ぶ、というのは真実です。

 しかし、人によってそういう考え方はときに、とてもとても頑張らなければならないという状態を生み出すことがあります。たとえば、精神的な成熟だけにとどまらず、自立した女性でいなければならないから仕事も頑張る。そして、常識や礼儀作法や教養や資格や料理や身だしなみ、スポーツに趣味に…、とにかく挙げだしたらキリがありません。そのためにサークルやジムやカルチャースクールなどに通い、あらゆる努力をしなければならなくなります。恋愛に辿りつくまでに、疲れ果ててしまいそうです。

 そして、たくさんのことを頑張っているのに、それに見合う結果が出ていないことが多かったりします。今回のテーマでいえば、これだけ女を磨いているのに、いい人が現れないというものです。
 反面、世の中には、上に挙げたようなことをそれほど頑張ってないように見えるのに、素敵な男性との幸せを手に入れている女性が実際、います。これって一体、何なんでしょうか?

 彼女たちには、こうしなければ愛されない、という概念が多くないのです。つまり、こういうこともああいうことも苦手だし、うまくやれないけど、それと「自分が愛されるか愛されないか」という判断は別ということを知っています。

 そして、一番パワフルなのは、「自分が愛されることを知っている」という点です。これは、「自分は愛される人物だ」と毎日口に出して唱えても、その奥にある本心(信念)が「どうせ自分は愛されない」と思っているのなら、うまくいきません。思考や捉え方を変えるだけでは、現実は変わらないのです。(このくだりは信念の法則に関わります。愛されない、という信念が根づくきっかけとなった過去の出来事に遡り、そのときに生じた傷や恐れや孤独を癒し、信念を手放すワークをする必要があります。もっと詳しく知りたい方は、無条件に自分を愛し、ゆるす具体的な方法の他記事をお読みください。)

 つまり、それほど頑張ってないのにいい人を引き寄せられる女性の頭のなかはこうです。いい人が現れない、イコール、ただ今はいい人が現れていない、というだけなのです。いい人が現れないということに、自分のこういうところがダメだからだ…という理由を作り出しません。自分に罰をあたえるような考え方をしないのです。

 また意中の人が自分に興味がないことを知ったりしても、ただわたしは彼のタイプではないのだ、とあっさり思えます。自分のこういうところがダメだから、というようには考えません。ダメな部分はいっぱいあるかもしれないけど、でもそれとはべつに、「自分は愛される」ということを知っているからです。


 自分にたいする愛に見合った人

 わたし達はときどき、自分に罰をあたえるような考え方をしてしまうことがあります。今回は恋愛について、そういった考え方の例をあげます。

 たとえば、「ひとりでいる人生に満足でき、幸せだと思える人が、他者と一緒にいて幸せになれるのだ」という考え方がそこらじゅうの本に書かれてあります。もちろん、自分ひとりで心地よくいられることは大事なことなのですが、その考え方がときに、「あぁ、寂しい。ひとりでいたくない。でも、こんな状態のわたしでは結婚できない!」とか「だからわたしにはいい人が現れないのだ…」と自分自身を追いつめ、やって来るはずの幸せを閉ざしてしまうことがあると思うのです。

 こうなると、「寂しい、ひとりでいたくない」と思うたびに、「こんな精神状態ではダメだ。ひとりで充実できるためになにかをしなければ。じゃないと、いい人が現れない!」というように、自分をどんどん追いつめ、恐れをベースにした行動へと煽り立ててしまいます。これが、自分に罰をあたえるような考え方です。

 物事にはそもそも、何の意味もありません。人間がすべての物事に意味づけをしているのです。こうだから、ああだ、というように。

 ほんとうに「いい人」を引き寄せられない理由は、「こんな自分はダメだ」という、自分に対する愛の小ささなのです。

 そして、自分はまだ寂しくて仕方ないから、ひとりで幸せになれていないから良い人が現れないのだ、というような考え方は、自分にたいする条件付きの愛を生み出してしまいます。こんな状態の自分は愛されない、というようにです。でもわたし達は100パーセント、どんな状態であっても無条件に愛されている存在です。これは宇宙の絶対的な法則のひとつです。

 そうね、生きてると寂しくてしかたなくなるときってあるわよね。それって自然なことよ。誰にでもあることだわ。

 こんな風に自分に言える人が、自分にたいする大きな愛を抱いている人です。どんなときでも批難せず、自分を愛してあげられる人が、その愛の大きさに見合った人(異性)を引き寄せられると思うのです。

 こういう状態でいられると、あなたの目の前に現れる人は完璧ではないけれど、あなたのことをとても愛してくれる人です。そして、あなたもその人の完璧ではないところも含めて、自分を愛するのと同じぐらい、その人を愛せるのだと思うのです。

 新居に仏壇がいっぱい!?

 最近、見た夢です。平屋の広い木造家屋に移り住む夢でした。古い家なのですが、まわりが自然に囲まれていて静かで、心地良さそうです。

 家のなかはまだ荷物が片付いていなく、冷蔵庫のなかにフライパンが入っていたりします。それから、さぁ寝ようと思い眠ろうとしたら、部屋のなかにたくさんの仏壇があることに気づき、びっくりしてしまいます。2メートル以上もあるようなものがいくつも、ちいさいものもあります。とても迫力があって、まるで生きているような存在感です。

 この夢があらわしているものは、たぶん、人生に変化が訪れていて、それはそこそこ心地よいものなのかなということです。でもまだ雑然としてい て、あるべき場所にあるべきものがおさまっていない感じ。またわたしにとって、仏壇から連想するものは先祖。ということは、先祖や守護霊(仏壇)がこの変化をサポートしていますよという意味なのかなと思います。

 こんな風に、家のなかに大きな仏壇がたくさんある夢は今までも、2、3回ぐらい見たでしょうか。でも今回の夢で意味がわかったような気がします。
 もし殺意を覚えてしまったら?

 過去の出来事でどうしてもゆるせない、思い出すと腹が立ってしかたない、ということは生きていれば、誰にでもひとつやふたつ、あると思います。たとえば、職場で同僚に嫌がらせをされたり、上司にパワハラを受け続けたりしたことでストレスになり、やがてうつ状態になってしまい、退職を余儀なくされた。過去にひどいイジメを受けた。愛する人に裏切られた。あるいは、幼少時にひどい虐待を受けた、というようなことです。

 そしてときに、「(ゆるせないと思っている人たちを)殺してやりたい! あんな奴、死ねばいい!」と思うこともあるかもしれません。

 でも同時に、人はそんな自分を責めてしまうものです。こんなことを考えてしまう自分はダメだ、人間として異常なのだ、いつまでも過去を引きずっている自分は弱い…というように。でもあなたは決してダメではないし、異常でもないし、弱いわけでもありません。

 ただ、あなたはそれだけ深く傷ついたのです。

 怒りが大きければ大きいほど、傷や恐れや孤独は深いものです。傷つくことが恐くない人なんて、この世にはひとりもいません。(対処の仕方がうまいかうまくないかの違いがあるだけです。) そして傷つく出来事が起こったとき、人は愛を感じられないので、それだけ寂しい思いをします。なので、そんな感情が湧きあがってきたときには、

 無理もないわよ。だって、それだけのことだったんだもの。

 このように強い共感をともなって、自分に声をかけてあげてください。

 それだけ、深く傷ついたのよね。ほんとうにつらかったわね。

 自分が深く傷ついていることに気づき、その傷を癒してあげてください。だからこんなにも「殺してやりたい!」と思うほど、怒りが大きくなってしまったのだと、自分を思いやってあげてください。どんな感情を抱こうとも、そんな自分をゆるし、受け入れることが無条件の愛です。

 また、殺意を覚えてしまう自分を恐れる必要もないのです。恐れをベースにした感情は、人を批難や罪悪感へと駆り立ててしまいます。こんなことを思う自分はダメだ、とか、こんな自分は幸せになる権利などない、というようにです。逆に、共感(愛)をベースにすれば、無条件の愛が生まれます。わたし達はひとりひとり、例外なく、無条件に100パーセント受け入れられている存在です。

 それからもうひとつ、殺してやりたい、死ねばいい、というようなフレーズが浮かぶとき、わたし達は自分に与えられた言語の限られた範囲内で感情を表現しているのだ、ということを知ってください。つまり、殺してやりたいというほど、あなたは怒りを覚えている、傷ついている、とても寂しい思いをした、というように自分の感情の程度を表現しているにすぎないのです。
 
 殺してやりたいと思う時点で傷や怒りや寂しさを癒せば、ほんとうの悲劇は食い止められます。癒しが起こらなければ、その感情にパワーが宿り、怒りが恨み、憎しみ、呪いにまで発展し、実際に悲劇が起こってしまうのです。
 
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 2001年公開のアメリカ映画。7歳の知能しかない知的障害の父親サム(ショーン・ペン)と7歳になった娘(ダコタ・ファニング)の父子家庭で、父親に養育能力がないとして二人は引き離されてしまう。そんななか、やり手の弁護士のリタ(ミシェル・ファイファー)がひょんなことからサムの弁護を引き受けることになる。ほんとうの絆で結ばれている親子を引き離すことだけが解決策なんだろうか?と考えさせられる一方で、エリート人生を生きてきたリタが、サムを通して新しい視点で世界を見るようになる過程や、ほんとうの幸せとはなにかに気づいていくようすも描かれている。

全体的に、ドキュメンタリーを撮っているようなカメラワーク、サムの純粋な少年の精神世界を想わせるような幻想的なタッチで、芸術性の高い作品になっています。ちなみにジェシー・ネルソン監督はダコタ・ファニングのことを「この子に出会ったことは奇跡だった」と語るほどで、たしかに大物俳優ショーン・ペーンの演技に圧倒されない見事な幼い娘役を演じています。

 またサウンドトラックには全曲ビートルズのカバーで構成されており、歌っているアーティストがシェリル・クロウ、ベン・フォールズ、サラ・マクラクラン、ステレオ・フォニックスと豪華な顔ぶれ。それぞれの個性がビートルズの原曲と見事に融合し、作品の幻想的な世界観を助長している。ビートルズファンはもちろん、ビートルズを知らない人がここから始めるのもおすすめ。
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 2005年公開のアメリカ映画。キャメロン・ディアス演じる妹のマギーは美しい外見とは裏腹に難読症を持ち、定職もなく地に足のつかない生活を続け、自分でも嫌気がさし自信を失っていた。対照的に姉(トニ・コレット)のローズは法律事務所でバリバリと働く弁護士だが、妹の外見の美しさには到底およばない中年女性。

ある日、ローズは自分の恋人が妹とベッドを共にしているのを目撃し、姉妹の間には大きな亀裂が生じてしまう。行き場のなくなったマギーはほとんど顔をあわせたことのない祖母を頼りにフロリダへ向かうのだが、そこで出会う人々や出来事のなかで、自分の可能性を見い出していく姿、そして大人になった姉妹がお互いをひとりの女性として見つめあっていくくだりは心を打つ。「わたし達は何度も擦りむいて、自分だけの靴を見つける」というキャッチコピーの通り、靴が印象的な形で登場します。
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 2000年公開のジョエル・ハーシュマン監督によるイギリス映画。(原題はGreen Fingers) 実話を元に制作された作品です。高い堀や監視カメラのない、紅茶を好きなときに飲めるほど、囚人を人として尊重する自由な環境の刑務所に送られてきたコリン(クライヴ・オーウェン)は自分の犯した罪を悔やむために、自分に罰を与えるかのような生き方をしていた。表情には生気がなく、無骨で、煮ても焼いても食えないといった風。まるで生きた屍のようだった。そんな彼があることをきっかけにガーデニングに目覚め、やがては囚人仲間と共に女王陛下も鑑賞するハンプトンコート・パレス・フラワーショウの出場に向けて進んでいく。また、囚人にたいする偏見を持っていた人々がコリンたちの本来の光の姿を目にし、考えを変化させていくようすも描かれている。全体的にドラマティックで華やかな雰囲気ではなく、どちらかというと地味で静かにストーリーが展開していくが、主人公のコリンが命を育んでいくなかで生き生きとしてくるようすが感動的。人は誰でもなんらかの才能を開花させることができるのだということを教えてくれる映画です。ちなみにタイトルのグリーンフィンガーズには「園芸の才」という意味がある。
 連絡の取れなくなった人と夢のなかで会う

 わたしは8年ぐらい前から、夢のなかで知り合いと会っている、実際に現実のなかで会っているように思えるぐらいリアルな夢を見るようになりました。あまりにも鮮明で、強烈な印象を残すので、ほんとうに夢のなかで会ってるんじゃないか?と思うようになりました。そういう夢のなかで会う人は、頻繁に顔をあわせている人ではなく、もう連絡先がわからなくて連絡を取りたくても取れない、どこか心のなかで引っかかりが残っている人たちです。その人に伝えたいことについて強く考えている(想っている)と、夢にその人が出てくるという感じなのです。今日はそのうちのひとりと、夢のなかで会ったことについて書いてみます。


 わたしがまだ高校を卒業して間もないころ、アメリカでホームステイをしたことがあります。そのステイ先は母子家庭で、15歳の女の子はテスという名前でした。彼女はとてもシャイで、あまり自分のほうから話しかけてきません。わたしはなんとなく、彼女は自分を好きじゃないんだ、と思っているところがありました。そして、わたし自身もまだまだ英語がろくに話せないものだから、ふたりの間にはあまり会話というものがありませんでした。でも仲良くなりたいという気持ちはあったのです。

 そんなある日、テスの友達が家に泊まりに来て、わたしはどこか嫉妬してしまったのだと思います。テスと彼女の友達とわたしと3人でご飯を食べる間、わたしは感じの悪い態度を取ってしまいました。すると、テスが「だれの家?」というようなことを言ったのです。そのことを聞きつけて、夜間の仕事に出ようとしていたホストマザーがわたしに謝ってきました。

 ホストマザーが仕事に出たあと、わたしは家を飛び出しました。家族も親戚もいなく、まだ知り合って2ヶ月ぐらいしかたってないような人ばかりで、言語の壁や文化やコミュニケーションの違いに戸惑い、そのときのわたしは一杯一杯でした。
 すでにそのころにはホームステイ先を変えたいという思いがあり、1週間ぐらい前に一緒に食事をした新しいステイ先の人のところに転がりこみました。そしてそのままそのステイ先に移ることに。2、3日後、新しいホストファーザーと自分の荷物を取りに、元のステイ先に戻りました。

 次々と自分の荷物を部屋から運び出すなか、テスは「なにか手伝うことある?」と聞いてくれました。あれだけシャイな彼女が、彼女なりに精一杯の勇気を出して言ってくれたひと言でした。家を飛び出し、そのまま新しいステイ先に留まることを決めたぐらい、怒っているわたしに声をかけるのは、ほんとうに勇気のいることだったと思います。でもわたしは頑固でプライドが高かったため、「ノー!」と言ったきり。ほんとうにひどい別れ方をしてしまったのです。

 あのあと、テスはお母さんにひどく怒られたと思うし、自分がきっかけでステイしている生徒が家を出て行ってしまうというような出来事は、相当、いろんなことを考えてしまったと思います。彼女はまだ15歳の女の子でしたから。そしてわたしもまだまだほんの子供でした。

 それから5~6年がたち、「わたしはお客様気分でい過ぎたのだ。たくさんのことをしてもらっていたのに、当たり前だと思う感覚が強すぎた。」と後悔し、たくさんの向こう見ずで自分勝手な言動や考え方にたいして、謝りたくてしかたなくなりました。でももう連絡先がわかりません。

 そんな後悔の気持ちを持ち始めてから少しして、あるとき、テスが夢に出てきたのです。顔をあわせていたときよりも成長している感じでした。とても鮮明で、まるで現実のように感じられるような夢でした。わたし達はなんの言葉もなく、ただそっとハグをしました。そしてテスは二階への階段を上がって行ったのです。

 その夢を見てから、気持ちが静まりました。お互いの気持ちが伝わったような、喉に引っかかっていたものが取れたような感覚でした。お互い精神的に成長して、分かり合えた部分があったのだろうと思います。彼女もあの夢を覚えているに違いないと、わたしは信じています。