無条件に自分を愛し、ゆるす具体的な方法

 まずはじめに。

 自分に厳しすぎる、自分を愛する必要性はわかっているけど、具体的にどう愛せばいいのかわからない。ゆるしの必要性はわかっているけど、具体的にどうゆるせばいいのかわからない。ゆるしたような気持ちになったものの、持続しない。怒りがぶり返す。

 このようなことに心当たりのある方はおそらくたくさんの心理学系やスピリチュアル系の本などを読んできていると思います。しかし、効果を感じられません。本を読んで2週間ぐらいは、ゆるせなかった相手をゆるせたような気持ちになれます。なんとなく自分を愛せるようになったような気がします。でも少しして、怒りがぶり返していることや、自己嫌悪に陥っていることに気づき、戸惑うということを繰り返してしまうのです。

 ここでは、ゆるしや、自分を愛することの大切さや素晴らしさを説くだけでは終わりません。実際、具体的にどうやってゆるせばいいの? どうやって自分を愛せばいいの?という方法を紹介していきます。


第1章  T・Hメソッドとは?

 T・Hメソッドとは、怒りといった感情を静めるためのいくつかのツールをまとめたものです。たとえば、なんらかの出来事で怒りといった感情が湧きあがったとしたら、感情を静めるためにその場で簡単にできるようにしています。ワークシートを引っぱり出して書き記していくという作業などは必要ありません。すべて自分の内面で行うことのできる作業です。また、やり方は簡単で覚えやすく、順番が入れ替わってしまってもまったく問題ありません。もしノートに書き記しながらワークをしたい、というのであればぜひそうしてください。自分にとって効果的な方法をクリエイティヴに工夫し、ひとりひとりのメソッドを確立してください。


 T・Hメソッドの目的

 このメソッドは、自分の内側で癒しを起こし、自分本来の力を取り戻すことを目的としています。内側で癒しを起こし、答えを見い出せるようになると、心理カウンセリングやヒーリング、またセミナーなどに通う必要がなくなります。トラウマなどの傷を自分で癒そうとするのは危険だと心理学の世界では言われていますが、それはわたし達ひとりひとりには力がないという説に基づいています。しかし、それはスピリチュアルな真理とは相反するものであり、人間が作り出したエゴによる概念です。

 人が人を癒すという構造のなかにはどうしても、依存関係、上下関係、支配関係、主従関係が生まれます。そこには金銭のやり取りもあります。わたし達はひとりひとり平等です。わたし達は基本的に愛そのものの存在です。愛に上下関係はありません。ドクターハラスメントという言葉が生まれ、ちょっとした社会現象になったのは、人が人を癒すという構造のなかに依存関係、上下関係、支配関係、主従関係が生じてしまったからです。

 わたし達はひとりひとりがパワーの源です。もし心理カウンセリングやヒーリング、セミナーに通ってもあまり効果を感じられないという人はこのメソッドを試してみてください。


 インスピレーションと心のおしゃべりの違い

 今日は、 これはインスピレーション(直感)なのか、ただの心のおしゃべりなのか、どっちなのだろう?とわからないことがあるときに、かんたんに見分ける方法を解説します。まずひとつ目の特徴として、

 そこに恐れや不安や孤独といったものがない、というものです。

 インスピレーションというものは、高次元と繋がっている(ハイヤーセルフや、自分を守護している存在といったものからのメッセージであることが多い)ので、恐れや不安や孤独といっ た低いエネルギーがありません。わかりやすくいえば、そこに感情がともなっていないのです。また恐れや不安といった暗い感情だけではなく、気分の高揚や興奮もありません。そして、

 インスピレーションは言語を介さない

 というのも大きな特徴です。高次元の世界には言語が存在しません。すべてテレパシーの状態でお互いのことを理解できます。だから、ほんとうのインスピレーションは一瞬でイメージや意味が入ってくるのです。

 インスピレーションというものは、あまり深くものごとを考えていないときに入ってきます

 不安や恐れに囲まれて、思考(心のお喋り)にとりつかれているとき、インスピレーションが入ってくる隙間がないので、なかなか入ってきません。掃除や散歩や料理のように、なにか作業しているときに入ってくることもあります。そういうときは思考で頭がいっぱいになっていないからです。

 具体的な例をあげます。たとえば、結婚に焦っていて、なにかしなければと義務感に駆られて「出会い系サイトに登録しよう!」と思うとき、それは心のおしゃべりです。なにかをしなければいけない、というように、低いエネルギー(焦り)に後押しされているからです。ここには不安や恐れや孤独があります。

 逆に、街のなかをなにげなく歩いていて、社交ダンスの看板を目にします。自分はダンスなんてやらないから、と思い、家に帰ってテレビをつけると、ちょうど社交ダンスの番組をやっていたりします。それから、次の日に、友人が社交ダンスの見学に行きたいけど、ひとりでは不安だから付き合ってほしいと言われま す。そのときになにも考えることなく、珍しいものを見てみるのもいいかと思い行くと、そこにゆくゆく結婚する相手と出会うことになったりします。ここではすべて、なにげなく、というように、思考や恐れや不安がありません。流れ(インスピレーション)にまかせている状態です。

 後々、振り返ってみて、まさか、という言葉がけっこうキーワードになったりします。上にあげた例でいえば、まさかこんなところで自分にぴったりの人に出会うとは!という感じです。宇宙はほんとうに自分の思考のレベルでは思いつかないものを差し出すので、まさかと偶然はキーワードなのです。



 夢には前世の記憶があらわれやすい


 最近はぜんぜん見ていないのですが、数年前まで、どうしてこんな夢を見るのだろう?と思うような夢をよく見ていました。そこは古い時代のヨーロッパで、街なかを歩いていると、とつぜん目の前の一角が爆撃されて、そこらじゅうにいた人たちが逃げまどっていたり、爆撃機がいっせいに遠くの空からやってきて、地上に銃撃を始め、人々がパニック状態になっていたり・・・。わたしはまだ6歳ぐらい男の子で、建物のなかに逃げて机の下に潜りこんだり、爆撃で建物の下敷きになってしまうのではないか?と、生きた心地のしないまま、ほかの人たちとじっと固唾を呑んでいたりしました。


 こういうリアルな夢をひんぱんに見ていたので、これはたぶん自分の前世の記憶なんだろうな、と思っていました。


 物心ついたころにはヨーロッパが大好きで、とくに中世ヨーロッパの街並みやお城、教会、石垣や石畳のある風景に惹かれ、今でもヨーロッパの風景がテレビにあらわれると目を奪われてしまいます。いつもアンティーク調のもの(家具とか雑貨とかアクセサリーとか)を選んでしまうし、なにか縁があるんだろうなと思います。ぜひぜひ、ヨーロッパに旅行に行きたい。それにしても最近はめっきり、この手の夢を見なくなったなぁ・・・。




 穏やかな環境を自分にゆるすことができる人

 前回までは、居心地の悪い人や場所から離れられない人について、幼少時の家庭環境に起因する大きな理由を解説してきました。今回は逆に、幼少時に穏やかで愛に満たされた家庭に育った人がどのように、居心地の悪い人や場所に対処するかを解説します。

 穏やかで愛に満たされた家庭で育った人は、孤独にたいする恐れがあまりありません。(家族から)愛されている、必要とされている、という想いが強く根づいているからです。つまり、どんなことがあっても、自分は愛される存在だ、という信念が揺らぎません。

 こういう人たちがどのように居心地の悪い人や場所に対処するのか、前回と同じ職場の例をあげて説明します。たとえば、職場できついものの言い方をし、冷たい態度を取る人がいるとします。彼らはそういうとき、相手とうまく折り合っていこうと努力はしますが、一方的に自分のほうに問題があるとは思いません

 きついものの言い方や冷たい態度を取るからと言って、相手が自分を嫌っているとはまず思わないのです。(愛を感じられない家庭で育った人は、こういう態度をとるからこの人は自分を嫌っている、愛していない、というように、愛のものさしで自分の価値をはかってしまいがちです。)

 彼らは物事を俯瞰することができます。職場全体を見回して、この人は自分だけではなく、だれにたいしても同じように接しているのだ、と思います。思おうと自分を説得するのではなく、思えるのです。もちろん、彼らのきついものの言い方や、感じの悪い態度を見て、それが適切なものとは思いませんし、そのような言動を心地よく感じることはないでしょう。ただ、

 その人にはその人の都合がある、それぞれの表現方法だ

 というように思います。つまり、その人にはその人なりの問題(幼少時の家庭環境でそのような親に育てられ、そのような表現方法を身につけたのだろう)があり、それが人にたいする接し方に影響しているのだろうと思います。ある意味、この人はこの人なりの表現方法で人と接しているのだから、それを尊重すればいいという状態です。ただここではこのように詳しく言葉を使って説明をしましたが、彼らはここまで深く分析をすることはあまりないでしょう。とにかく、

 自分が原因で、この人はこのような態度を取るのではない、と思います。

 また、もし相手がほんとうに自分のことを嫌っていると知っても、自分のほうに問題があるから、相手は自分を嫌っているのだとは思いません。相手のなかに自分を嫌うなにか複雑な理由があるだけだろう、それは自分には解決することはできないというように、相手を放っておけます。これは否定する意味で放っておくのではなく、受け入れる意味で放っておけるのです。わかりやすく言えば、好きにすればいい、という感じです。

 好きにはなれないかもしれないけど、その人を受け入れている状態なので、相手を変えようというコントロールがありません。表情や態度にも怒り(望みどおりの愛を与えてくれない相手にたいする怒り、言い換えれば悲しさや寂しさ)がそれほど現れません。相手も自分を変えようというコントロールを感じないので、お互い、ぶつからないのです。「自分は愛される存在だ」という信念が根づいているので、相手を変えてまで、望みどおりの愛を手にする必要がないのです。この人から愛をもらえなくても、じゅうぶん間に合っているという状態です。


*次回は、彼らが職場でいじめやハラスメントのようなひどい状況に陥ったとき、どのように反応するかを解説します。(よい週末を~!)

 
 穏やかな環境を自分にゆるすことができないのは、どうして?

 前回は、居心地の悪い人や場所から離れられない大きな理由のひとつが、そこしかないから、そこでやっていくしかない、というように、幼少時の家庭環境に起因する理由を解説しました。今回は、同じく家庭環境に起因する、もうひとつの大きな理由について解説します。
 
 もうひとつの大きな理由は孤独です。

 居心地のよくない家庭環境で育った人ほど、強い孤独感(孤独になることへの恐れ)を抱くことになります。ちなみに、居心地のよくない家庭というのは、

 愛を感じられない家庭

 のことです。愛を感じられない子供は、そのぶん愛を求めます。またそういった子供は、愛を感じられないので、自分は愛されていないのではないか?とか、必要とされていないのではないか?という、孤独(不安や恐れ)とともに生きることになります。

 愛されていない、とか、必要とされていない、と感じることは、大の大人であっても耐えられない感覚です。だから、人はその感覚を否定しようとします。その感覚を否定するために、居心地の良くない家庭であってもしがみついてしまうのです。しがみつくことで、自分は愛されている、必要とされている、と思いこもうとするからです。

 これが大人になっても、居心地の悪い人や場所であるにもかかわらず、離れられないメカニズムのひとつです。この場合、恐れをベースに行動をしているので、さらに恐れをベースにした現実を作り出してしまいます。 

 たとえば、職場で苦手な人がいるとします。その人はきついものの言い方をし、自分のことを嫌っているように感じます。今回の例にあげた家庭で育ったような人は、自分になにか欠点や非があるからではないか?、自分がこういう人間だから、こういう存在だから、こういう性格だから・・・と自分を責めさいなんでしまいます。いわゆる、自分のほうに問題があると、強く考えてしまいます。そして、どうにかこうにかして、相手を好きになろうとするか、気に入られようとするか、自分を変えようとするか、とにかくうまくいくように頑張りすぎてしまいます。幼少時の環境を再現している状態です。

 本人にとっては、相手に思いやりを持って、関係がうまくいくようにその場にふさわしい、正しい努力をしていると思うのですが、相手にそれが伝わりません。その努力の根底には、相手を変えようとする、というコントロールがあるからです。相手やお互いのためにやっているのではなく、自分の望んでいる通りの人間に変わってほしい、自分の望む通りに自分を愛してほしい、受け入れてほしい、と相手に無意識に押しつけている状態なのです。これは言い換えれば、

 そのままの相手を否定している、とも言えます。人は言語以外にも、感情エネルギーでお互い無意識にやり取りをしているので、相手を否定している、というエネルギーもやはり相手に伝わってしまいますし、相手をそのままを受け入れられない、という状態はかなりのストレスフルな状態なので、人は表情や態度に出てしまうものです。しぜんに、相手のきついものの言い方や態度が悪化してしまうのは、このためです。

 そして一方通行の状態では、孤独はさらに増してしまいます。居心地の悪い状況なのに離れるのが寂しい、だから離れられないという悪循環に陥ってしまうのです。


*次回は、逆に穏やかな家庭環境で育った人の場合、居心地の悪い場所にたいしてどのように対処するかを解説します。

 いつも居心地の悪い人と一緒にいてしまうのはどうして?

 この記事をたまたま見つけた人のなかで、どうして自分はいつも、「居心地の悪くなる人と一緒にいてしまうんだろう?」と、思うことがある、という人がいるかもしれません。これは会社や学校だとか、趣味のサークルだとかいった場所で一緒になる人たちのことです。

 もちろん、波長の法則というものはあります。類は類を呼ぶ、嫌だなと思う人は、自分の鏡写しというものです。表面上は感じよく、いつも思いやりのある態度をとっていたとしても、相手にたいして心のなかで批難を繰り返していると、波長が低くなってしまい、同じような波長の人を引き寄せてしまう、というのは事実です。このくだりはどの本にも書かれていることなので、ここまでにします。

 ただ、この波長の法則ばかりに気を取られていると、自分を際限なく批難し、罪悪感に駆られてしまうことになります。具体的に言えば、このような人を引き寄せている自分が悪い、とか、感謝が足りないからだ、とか、心のなかで悪口を言ってしまったからだ、とかいうように自分を批難し、罪悪感を抱いてしまうのです。これは、自分はダメな人間だ!といい続けていることと同じで、自分に罰をあたえるような状況をどんどん引き寄せてしまいます。

 ほんとうに波長を低くしてしまう大きな原因は、自分はダメだ!と言い続けること、自分にたいする愛のちいささなのです。

 では、「いつも居心地の悪い人と一緒になってしまうこと」の原因について、波長の法則ばかりではない、大きな理由について解説します。
 
 安心でき、リラックスでき、心地よく思える人と一緒にいることを、自分にゆるしていない、という大きな理由がある場合があるのです。
 
 これは自分が育った家庭環境に起因します。たとえば、親や兄弟と一緒にいて、ビクビクしてしまったり、いつ怒鳴られるか、あるいはいつ手をあげられるか、といった環境で育った場合、大人になってからも同じように感じられるような環境を創造します。具体的に言えば、自分にズバズバと傷つくことを言うような人、一緒にいて胃がもやもやし、つねに緊張してしまうような人を引き寄せてしまうのです。同時に、自分がどうしてこの人たちから離れられないのだろう?と不思議にも思いながらも、そこに居続けてしまいます。

 ではどうして大人になって、穏やかな環境にいることを自分にゆるせないのか?、というと、どんな家庭であっても、そこでしか生きられない、という幼少時の強い思いが大人になっても繰り返されてしまうからです。こういった思いはほとんどの場合、このテーマでよく登場する、信念と呼ばれるもので、思考のずっと奥に根づいているものです。

 そこしかないのだから、そこでやっていくしかない

 という、強い義務感(信念)が根づいていると、大人になっても、居心地の悪い人から離れるのが難しくなってしまいます。

 
 *次回は、居心地の悪い人や場所にしがみついてしまう、もうひとつの理由について解説します。

 不思議なインコに遭遇

 家から5分ぐらい歩いたところに、ちいさなショッピングモールがあります。先日はそこで親友とビュッフェ形式のレストランに行き、帰りに100円ショップに寄りました。そこでとても不思議な光景を目にしたのです。

 親友が最初に気づいたのですが、「あれ、あの人変わった飾りをつけてる、鳥みたいなの」と言うのでそのほうを見ると、30歳ぐらいの女性の肩に鳥がとまっているのです。わたしも最初はそういう飾りをつけているのだろうと思いました。でもあまりにもリアルなので、ふたりで近寄っていってみました。

 そのインコは今まで見たことがない、うすい紫色のきれいなインコでした。まだ生まれたばかりだそうです。「逃げないんですか?」と聞くと、まったく逃げないのだそうです。そのインコはずっと、彼女の左肩に乗っていて、わたし達が話しているあいだも、薄目になってうつらうつらと気持ち良さそうにまどろんでいる感じ。撫でさせてもらったら、とてもおとなしく、2回ほど撫でると、口を開けて笑うような表情をしてわたしを見たのです。まるで人間のようでした。

 こういった動物がときどきいます。ふつうではない、どこか人間のようなものを感じさせるような動物。たとえば、喋るように鳴く、飼い主が精神的に落ち込んでいるときなど、いつもとは違う目でこちらをじっと見つめてくる、家族の口論の仲裁に入る、といった風です。種や言葉といったものを超え、なにかいろいろわかっているような雰囲気をまとっています。

 そのインコはその女性をサポートするために生まれてきたように感じられました。彼女は100円ショップの店内でサングラスをしていたのですが、表情や声のトーンや話し方から、とても優しく繊細で、今精神的に疲れていてどこか不安定なものが伝わってきました。彼女にとっては100円ショップに必要なものを買いに出ることさえ、ちょっときついという感じで、でもそんな彼女のことをインコはすべてわかっているのです。体はちいさくても、彼女の大きな支えになっているようでした。

 そしてインコも生まれてくる前から、その女性との深い絆があるようで、いま彼女と一緒にいられるだけでとても幸せなのだ、というものが伝わってきました。

 
 

 夢を通じて相手の感情を知る

 最近、趣味関係でグループを募集したりしています。最初はメールのやり取りばかりになるので、お互い、どんな人柄なのかわかりません。

 ただメールのやり取りを始めた時点で、この人とはおそらくうまくいかないだろう、連絡が途絶えるだろうと思うような人がいます。そして眠っているときに、その人の感情を受けとってしまいます。これは実際に経験している人でないとわからないと思うのですが、かなりきついときがあります。というのも、心地よく感じられない感情もあるからです。

 たとえば、相手が怒っていたり、イラっとしていたりするときです。そういうときの感情エネルギーは強いので、伝わりやすいのだと思います。そしてそれは夢というより、はんぶん起きている感覚です。映像でそれを見るのではなく、言葉が聞こえているようで、はっきりなにを言っているのかわからない感じです。つまり、感情がダイレクトに届くのです。テレパシーとも言えます。

 そういう夢を見た次の日は、大体、その相手からの連絡がぷつっと切れます。

 次の日にわかるのなら、無駄に夢のなかで嫌な思いをしなくてもいいのに、とうんざりしながら思うのですが、最近では、これも自分を守ることに利用できるのではないか?と思うようになりました。たとえば、なにか自分を騙そうとしているような人の場合、その感情がわかれば事前に対処できるからです。

 ただ、関わった人すべての感情が夢を通してわかってしまうのか、というとそうではなく、今のところ、もともと感情エネルギーが強い人に限られるようです。そういった人が怒ると、感情エネルギーはとてつもないものになります。

 こういったことは多かれ少なかれ、みなさん経験していると思います。でも「たかが夢だ」と思っているのです。しかし感度が強くなってくると、「これはたんなる夢ではなく、実際に伝わってきたな・・・」と思えるようになります。慣れるまではちょっと大変だと思います。




 エレベーターで急上昇*急降下

 エレベーターに乗っている夢をときどき見ます。乗ってから、行き先のボタンを押すと、ジェットコースター並みの速さで急上昇したり、急降下したりすることがあります。ものすごい速さなので、ただただその重力の凄まじさに耐えるしかない、という感じです。

 こういう夢を見ているときは、たぶん、精神的にちょっと焦っていたり、不安になっていたりするときかもしれません。状況をコントロールできない、という感覚が、こんな夢を作り上げてしまうのだと思います。

 この夢に、守護霊やハイヤーセルフがメッセージをこめているとしたら、今決断するのはタイミングとしてよくないといっている可能性もあるでしょう。急いで決断しても、混乱した状況を引き寄せるだけで、到着する場所はないという意味です。

 それからもうひとつ、「自分の選択が間違うのをひどく恐れている」ときにも、見る場合があると思います。ボタンを押す(なんらかの選択をする)ことが、コントロールできない状況を引き寄せるのではないか?というような心理状態を表しているのです。


 「エレベーターで待っている夢」について興味のある方は、こちらへ。http://ameblo.jp/peppermintcandle/entry-11899891811.html



 
 夢のなかでは嘘をつけない?!

 これも江原啓之さんの本に書いてありました。夢のなかでは、感情を偽ることができないと。たとえば、好きな人と夢のなかで会ったとき、自分の気持ちはすべて伝わってしまう、というように。これも、ほんとうのことだと思います。

 人は眠っているとき、肉体から離れて、意識だけの存在になります。言葉は必要なく、テレパシーで会話ができる状態になるのです。

 なので、たとえば職場や学校で、好きな人の前では何の気ないフリをしていても、夢のなかではすべてお見通しになってしまうのです・・・。