『ぼくのエリ 200歳の少女』9/6 | 獅子唐爆発

獅子唐爆発

好きなこと書いときます


ぼくのエリ 200歳の少女』を観ました。


いくつもの場所(媒体、人)で絶賛されていたこの作品、スウェーデンの映画で全編スウェーデン語なのですが、実は本国とアメリカでは2008年公開だったのですね。
日本に来るのにこんなに時間がかかるのは何故なのでしょうか?誰かが発掘してきたということかな。

原題は英語だと "Let the Right One In"です。これ、正しく訳すとどうなるのかな・・・正しい・ふさわしいものをいれろ…
(ヴァンパイアは「入って良い」と言われないと家に入れないのだとかいう話が関係しているみたいです)
ちょっと適切なタイトルがすぐには思いつきませんが、『ぼくのエリ 200歳の少女』って。

少なくともこの邦題では、口コミが無ければ観に行く気にはなりませんでしたね~。
私の記憶では劇中「200歳」という発言はありませんでしたし。



北欧の国、雪景色が当たり前のなか、白い肌と白い地面に血の赤は凄く映える。それも、鮮血というよりは赤黒いのがよりリアルな感じで、そこがちょっと・・・視覚的効果の映像美というよりもスプラッター的な印象

まぁ個人的には血が苦手だというだけかも知れませんが。


私は(デフォルメではない)猫をCGで出されるのが嫌いなので(アフラックのCMとかね)、
猫屋敷の猫たちが毛を逆立てて、エリに噛まれヴァンパイアと化した婦人に次々飛びかかる場面は、気に入らないというか気持ち悪かったです。

あと、その猫に襲われる異常をきたした婦人とそれを助けようと慌てる夫(?)を部屋に残して、その場を逃げ出し透明なドアを閉め切って二人を隔離した友人に対し夫が「おい開けろ」とドアをドンドンやるところ、地味に怖かったです。自己保全の優先。

人間が生き延びる為に逃げたりもがいたりするのも、エリが生き延びるために男を使うのも、男がエリのために危険を冒して人を殺し生き血を集めるのも、人間が人を殺したいと思いながら殺さないでいることも、全てはエゴイズムなのだと
・・・いうことでしょうか。
あの父親(嘘)はエリという唯一の存在に対しては利他主義であったかもしれないけれども


光に当たっていきなり発火したのは驚いた。



最後の電車のあれは、オスカーが12歳にしてひとりで親元を離れて爆弾を連れていったということでいいのですかね。

しかしまぁ、よく考えるとなぁー、
生身の人間より数段身体能力の高いヴァンパイアが、あえて人間に人間を殺させて血を持ってこさせるというのはつまり、わずかでも顔がわれて自分自身に危険の及ぶのを避けるために、ひとを使い捨てにするのだということなのでしょうか。ただの人間の方がよっぽどつかまり易いはず。

あれだけの短い期間にも殺人を繰り返して失敗するなら、同じペースで血を必要としてきたすると、あのおじいさんがオスカーと同じくらいの年からエリと生きてきたのだとはどうも考えにくいですよね・・・。
どう考えても無理です。持たないでしょう。こういう話、考えても仕方ないでしょうけど。

素直な疑問としてあの娘、なにが楽しくていつまでも生きているのかな?とも思いますよね。奉仕者という形で年老いていく運命にある男と愛を語り合うこと、を延々繰り返すのでしょうか。12歳の身体なのに。





つまり、そこまで絶賛されるようなものなのかなぁ~と思ってしまいましたという感想です。
あ、主人公オスカーのというか北欧の人の透き通るような白い肌と金髪はただ羨ましい。
あとオスカー父、かっこよかった。いじめっ子もいい顔してたな。


ハリウッド版が近日公開らしいです。本当に向こうの人は吸血鬼もの好きですね。
吸血鬼といえば、『エド・ウッド』に出てきたベラ・ルゴシの初代(?)ドラキュラと、クリストファー・リーのも観なくては・・・





あ、見方を変えれば、支配されているようでいながら、かくまって餌を与えてやる、
箱に入ったペットのようなものだというかんじもしますね。だから「ぼくの」、あなたのエリか。