先日、知人であるフランコ酒井氏が理事長を務める団体のヴェルディ生誕200周年記念ガラコンサートに行き、、
総勢18人の現在活躍している日本人歌手(1人は韓国人)を聞いて来ました。
歌の大好きなフランコさんの熱意は大いに届いた熱い演奏会でした。
私の師匠達が歌っていたり理事であった(二期会)昔は良く日本の歌手を聞いていましたが、
実を言うと最近はほとんど聞いた事がありません。
何故か?
簡単に言うと私とは発声も音楽の作り方も違っている(来てる)からかも。
まあそんな私の意見は違う機会に述べる事にして、
今回は感情的な私より、酒井氏より講評を求められている私の夫である工藤健詞の感想を書く事にします。
個人的な批評は酒井さんにお会いする時に話すそうです。
御存じの方も多いでしょうが工藤はその昔(学生時代)、パヴァロッティの初来日オペラで公演中に舞台に駆け上がって抱きつくという伝説の大馬鹿者であり、
またジュゼッペ・ディ・ステファノとアルド・プロッティを師に持ち、その師達を日本に招聘して沢山の演奏会を催しました。
発声の神様と言われたプロッティの技法を受け継ぎ、自分の演奏活動は勿論の事、「くどう式発声」を立ち上げ、後進の指導もしています。
[工藤の感想]
私が印象に残ったのは、、
まず代役にも関わらずあのイル・トロヴァトーレの「Di quella pira」を見事に歌った小野弘晴氏です。
テノールに一番大事な「止め」がありました(テノールだけでなくどのパートにも必要ですが)。
声を出した時に「止め」があると肺が膨らんで大いに機能するのです。
もう一曲歌ったアイーダの方ももっと良かったですが。
もう1人はリゴレットの「Ella mi fu rapita」を歌った大澤一彰氏です。
彼には本当に感心しました。
B音に行く前のフレーズがものすごく長く(ブレスが長い)、
これは声が小さくなる危険性を孕むのですが、「止め」が強くなり「道」が出来ます。
まさにイタリアンテノールの美しい声が出来上がっていました。
その夜歌わなくてはいけなかったのですが、嬉しくてついブラボーを連発してしまいました。
音楽もきっちりしていて頭の良さもあり、まさにプロでしたね。
さて、最も意外だったのはこのお二人にあまり拍手やブラボーがなかった事です。
やはり普通の人にはこの好さがあまり理解されないのだな、と思いました。
これは何も日本だけではなく世界的な傾向ですが。
認められるには時間がかかり、声はいいけど発声が悪い歌手が次々と倒れて最後に生き残ったヌッチやロッフォレーゼの様になるしかないのかも・・・
いや、それではあまりにも哀しいので聴衆も知的な勉強をして欲しいな、
と思うこの頃です。