東京で師事していた教授は物腰はやさしいですが音楽にはとてもきびしい人でした。
初めて伺った時「お子さんは教えません」とおっしゃいましたが
子供の私の将来に希望を持ってくれたのかとってくれました。
そして私がうまく弾けないとすぐ隣で弾いて下さいました。
その音のきれいだった事!
子供ながらいつも目を見張ってその指先を見つめていました。
九州ではその師に紹介された人につきました。
しかし私とは合いませんでした。
その人には音楽センスもなくヒステリーで第一弾けませんでした。
子供ながらそういう事を敏感に感じてしまうので一見大人しくしていましたが
顔や態度に表れていたのだと思います。
皮肉や苛めがひどくなったので流石に母も堪忍袋の緒が切れたのでしょう。
「あんなとこ行かなくていい、一人でやっても入るわ」と言ってくれて
大事な受験前になって全く行きませんでした。
本来私は芸大付属高校を受けるつもりでした。
しかし東京の師は芸大の教授でしたが何故か付属校が嫌いで反対されていました。
あのまま東京にいたらどうだったかはわかりませんが
東京から遠い地で先生ともうまくいかない私は八方ふさがりでした。
その上また父に転勤の噂が出てそれが3月にならないとどこだかわからないと言うのです。
私の両親は二人共関東出身でしたから最後には東京で落ち着きたいと思っていました。
ですからどこに転勤になってもとりあえず私は東京に送り込もうという事になりました。