九州時代 | オペラ歌手くみバードの、ひたすらオペラな人生

オペラ歌手くみバードの、ひたすらオペラな人生

主催している「ありどおろ座」オペラ団の情報や合唱の練習など音楽家としての生活です。

もう40年位前の話です(ガーン!)

その頃東京から九州への転校は大変な事だったのかもしれません。
「受験前の子供を連れて行くなんて、もうくみちゃん(私)も終わったね」
と言われていたそうです。

しかし陽気な母は父一人単身赴任させる気も全くなかったし
「大好きな焼き物(伊万里焼とか)が見れる」と結構浮かれていました。
今から考えると東京駅にみんなが見送りに来たて泣きながら別れを惜しんだり
心配した母方の祖父母も旅行ついでに一緒についてきて
寝台車で一日がかりで旅した結構な大イベントでしたね。


私達が越した所は九州と言っても北九州市の門司で家から本州が見える景色のいい所でした。
先に転校していた子が苛められたという話を聞いて母は随分心配しましたが
柔軟性がある私はすっかりその土地になじんでしまいました。
もともと眼鏡をかけていて「メガネザル」とか「四ツ目」とかはやしたてられても
意味がわからなくて全く相手にしないので苛めがいがない人間でしたから。

それに同じ人間なのだから根本的にはみんな一緒なのでしょうが、
今までとは違う、大らかな、それでいてセコイ人間的な先生や友達に囲まれて私はとても楽しかったです。
一番大事な思春期をあそこで過ごした事は私の人間形成に大いに役立ったと思います。


後で思い当たったのですが、その地の人はイタリア人に似ていました。
イタリアに行った時とても懐かしかったのは私だけでなく母もそうだった様です。


さて、学校は非常に楽しかったのですが生憎ピアノの方はうまくいきませんでした。

紹介された芸大卒業の先生とうまくいきませんでした。

今から考えると弾けるクセに怠け者の私が憎らしかったのだと思います。