#316
こんにちは!
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
箱で空間を作るハコニストの姥澤です
子どもたちの夏休みが終わって、
久しぶりにNHK大河ドラマの
「どうする家康」を観ました
大分、観れてなかったので
「設楽原の戦い」の回でした
歴史上、有名な
徳川・織田連合軍と武田軍の
「長篠の戦い」です
徳川・織田連合軍が3万8千
武田軍が1万5千
武田軍が大敗を喫して
ここから滅亡に向かっていきます
大将の武田勝頼はなぜ、
この不利な戦いに挑んだのか
私なりに考察したい
”戦国最強”甲斐の虎と称された
武田信玄の死去
四男の勝頼が跡を継ぎますが、、
これは正式な後継者ではなく
息子の信勝が家督を継ぐまでの
陣代(後見)で、中継ぎ的な立場
というのも、勝頼の母は
武田氏に滅ぼされた諏訪一族の娘
武田家に敗れて家臣になった
諏訪家の人間がトップになるのは
家臣団的にも抵抗が
あったのでしょう。。
偉大な父の跡を継いで
そんな家臣団をまとめるのに
勝頼は苦心したと思います
そんな家臣団を一つにするのは
外に目を向けて、敵を攻めること。
わずか1ヶ月半で18の城を落とし、
家康の治める遠江にも侵攻
父、信玄公も落とせなかった
名城 高天神城も攻め落とします
この時、父を超えるような
成果を出していた勝頼の心中は
どんなものだったでしょう
得意になっていた部分もあり、
功を急いでいたようにも感じます
長篠城の奥平親子も援軍が来るまで
武田軍1万5千の猛攻をよく耐え抜いた
織田・徳川連合軍3万8千が
設楽原に到着し、、
武田の重臣たちは、
大将の勝頼に撤退を進言します
戦国最強の騎馬軍団とはいえ、
多勢に無勢、勝つ見込みが薄い
「御館様は勝てない戦はしなかった」
と家臣が勝頼に言います。
一方の織田信長は入念に
準備を進めて
騎馬軍対策として、馬防柵を
張り巡らします
3000挺とも言われる大量の鉄砲を
戦術として戦に使います。
信長としては、
武田軍が得意とする野戦で
勝頼を誘い込んだ
この戦によって、
山県昌景、馬場信春、内藤昌秀、
土屋昌続、真田信綱・昌輝兄弟など
名だたる武将が討ち死し、
武田家にとっては
致命的な敗北となった。。
負けるつもりで
挑んだわけではないと思うが、
不利な戦にあえて挑んだのは
勝頼の”功名心”ではないかなと。。
そこに大義はあったのか
やはり、仕事をする上でも
「志」が先にきて
天が味方するような
仕事をしていく必要があるんでしょうね
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