こんにちは!
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
箱で空間を作るハコニストの姥澤です
つい先日、五所川原市倫理法人会の
初代会長であり、、
生みの親でもある経営の大先輩が
お亡くなりになりました
ここ一年、私の周囲の
近しい人たちが立て続けに
亡くなっています
喪服は奥のクローゼットに
普段はしまっているんですが、、
今はしまっておく暇がないほど
出番が多い悲しい状況となっています
ご遺体を目の前にする機会もあり
想いを寄せて手を合わせます
身体はそこにありますが
本人はいません、、。
大辞泉で「遺体」を調べると、、
《魂が去って遺のこされた身体の意》
死んだ人のからだ。なきがら。
と書かれています
「まさにそうだ」
魂 が去っている状態だと
身体だけあっても意味がない、、。
人の「死」について
考えさせられるんですが
人は生まれてきたら
必ず「死」を迎えます
これは逃れられない現実
小さい頃、「死」のことを
考えると、恐ろしくて、嫌で
眠れなくなることもあって、
布団の中で怯えていました
大人になって様々な本や
学びによって
「死」についての考え方
とらえ方が変わってきました
人は必ず死ぬとすれば
生きている間は
思いっきり人生を謳歌したい
楽しみたい、幸福でありたい
人の役に立ちたい
喜んでもらいたい
夢をカタチにしたい
というように
「人生」をゲームに例えると
生まれたときが「スタート」で
死んだときが「ゴール」
限られた時間の中で
どう生きるべきか?
哲学的なアプローチかも
しれませんが、、
「死生観」を
確立しておかないと
人生を「意味」のあるものに
出来ないんじゃないかなって思うんです
人は何のために
この世に生まれてきた?
ただなんとなく自然に生まれてきた?
金儲けのため?
美味しいものを食べるため?
いい大学
いい会社に入るため
人生を楽しむため
幸福になるため
自己啓発の学びで
よく出てくる話があります
自分が「死」を迎えて
葬式をあげるとき、、
どれだけの人が参列して
「死」を悲しんでくれているか?
葬儀でその人の「人生」が
どんなものであったが分かると。。
付け加えておきますと
今日行った
経営の大先輩の葬儀には
たくさんの献花が並び
大勢の方が参列しておりました
地域に多店舗展開し
青森県のみならず
近隣の秋田県や岩手県にまで
出店していった経営手腕
向上心があり、勉強熱心で
奥津軽と言われる地で
「五所川原市倫理法人会」
を正単会として発足させた
行動力、パワーには
心から敬服いたします
テーマが深すぎて
一回で終わらないので、、
次号に続きます