能登半島地震から今日で3か月


まだ復興どころか復旧すら手付かずだった頃に自分も短期間ですが、石川県のある町の支援に携わりました


直接作業したわけではないですが、支援隊と役場・自衛隊との間の調整役として活動しました


阪神淡路大震災から29年、この間何度か災害支援の機会があったものの現地に行くことは出来ず、ようやく自らの手であの時の恩返しが出来た気がします


震源地に近い現地では拠点となる場所が確保できず、金沢市に本部を置いて毎日片道3時間近くかけて往復


拠点のある金沢から現地へ向かうのと里山海道は途中で滑落してなくなってたり、今にも崩れそうになってる横を徐行して走り、応急処置で何とか通れるようになっても途中から先は手付かず、国道に降りても通行止めで迂回、しかも支援車両で大渋滞


現地で活動する時間を少しでも確保するため、朝6時出発、夜7時頃本部に戻ってミーティングとまとめ、10時頃に宿に帰ってから報告書作成し、0時頃就寝の繰り返したでしたが、阪神淡路の当時の事や今回の被災者の方々の苦労を思えばなんて事ない


ある日は金沢に帰る途中で大雪に見舞われ、北陸じゃ普通なのかもしれませんが、あれよという間に30センチ近い積雪は神戸じゃ経験がない


そんな状況でも関わった人達は能登のために奮闘してました


そして、3月上旬で関わってた業務は終息し、当事業体も3月末をもって災害復旧支援活動は終了しました


被災された皆さんが、1日も早く元の生活に近づけるよう願ってます、頑張ろう能登!


大阪発金沢行きのサンダーバード


北陸新幹線延伸で、今は直通していません




家が倒壊


壁も崩れ


道路はひび割れ


高速道路は崩落してました


り災証明発行開始のテレビ取材


自衛隊の支援活動


静岡県各市から多くのトイレカーが投入