大聖院をじっくり回った後は、再び嚴島神社方面へ戻ります。
行きとは違った「滝小路」という、民家の並ぶ静かな通りを歩いていると、小さな神社を発見。

粟島神社
嚴島神社の末社で、少彦名命を祀る神社です。

次のお目当ては
etto宮島交流館
なんと、月曜日で休館日でした😱
ここには大杓子の展示があるということで楽しみにして来たんですが・・・

宮島観光協会のHPより写真をお借りしました
こういうの。
閉まった扉の隙間から、なんとか写真を撮ろうとしましたが、反射して無理でした。

二階に上がると五重塔がよく見えるとのことで、それも楽しみにしてたんですけどね。月曜日、空いてる分こういうこと多いですよね。残念でした。

気を取り直して
五重塔を目指して歩きます。

龍髯の松(りゅうぜんのまつ) 

30mもの横に長く伸びた松の木で、
大正15年、龍の頬ひげに似ていることから、当時の嚴島神社の宮司により名付けられたそうです。
全体を写すの難しい😅

よい感じのお茶屋さんの前にあって、
ここから見上げる五重塔がとても素敵💚



豊国神社(千畳閣)
国重要文化財。木造の大経堂です。
昇殿料100円。
こちらは建物の裏側になるのかな?
こちらからも中に入ることができます。
反対側は人が多くて、写真は撮りませんでした。

さて、歴史オンチのぽよんも、
「豊臣秀吉が命じて造らせたが、秀吉の急死により未完のままになっている」というのを何となく記憶。ここは絶対外せないと思ってました☝️

    

天正15 年(1587)に、秀吉が千部経を毎月読誦するために政僧・安国寺恵瓊に建立を命じました。


戦死した人々(朝鮮出兵犠牲者?)を供養するために建てられたらしい。

千部経とは、千人の僧が同じ経を読むんだそうで、そりゃ広い建物が必要だったんだろうけど・・・

857畳の畳を敷くことができることから、千畳閣と呼ばれているそうです。

壁がないから、開放感が凄い。
完成していたら、さぞ豪華な大伽藍だったんだろうなぁ。
五重塔はもちろんだけど、こんな仏教色の強い未完の建物が、神仏分離のときに取り壊されずに残されたことに感謝だよなぁとつくづく。


天井も無いままですね。

風が抜けて、床板はひんやりと涼しい。

みなさんここで涼を取り、休憩されていました。うちの夫もちょっとぐったり🤭

回り廊下?縁?(こういうとこ何て言う?)
嚴島神社も見えて眺めは最高、ずっと座っていたい。
千畳閣は、江戸時代からすでに納涼の場所として親しまれていたらしいですよ☝️

しかし、嚴島神社を見下ろすようにこれほど大きな建物を建設しようとしたのは、秀吉の権力誇示のためという説も、うなずける〜🤔


明治の神仏分離で仏像は大願寺に遷され、秀吉公と加藤清正公をお祀りする豊国神社となったそうです。
秀吉公の神号が「豊国大明神」なのですね。


たくさんの杓子が奉納されています。
お土産の杓子のところでも書きましたが、宮島は杓子発祥の地。
1800年頃、宮島に何か産業をと弁天様の琵琶の形をヒントに修行僧誓真により考案された杓子は、「敵をめしとる」「幸せをめしとる」という縁起物として広く伝わるようになりました。

思わず、カープファンの赤杓子が浮かびますね😊

ただ・・・
戦争の時に勝利を願って奉納された数多くの杓子については、反戦の地広島でもあることから、あまり語られてはいないそうです😢

こんな大杓子も



さて、この千畳閣から見る五重塔の美しいこと。
こちらも国重要文化財です。

広角で撮ってみます。
運良く人がいないタイミングで撮影できました。嬉しい・・・

千畳閣の縁の下を通って帰ります。


さて、宮島訪問はこれで終了です。

 

バイバイ宮島、またきっと来るね👋

この後は、途中寄り道しながら、
今夜のお宿(山口県岩国市)へ向かいます。