大牟田ドライブの記事が続いています。

大牟田駅近くでランチ
宮浦抗跡
宮原抗
万田坑

と、ここまで来たところです。
(万田坑は熊本県荒尾市になります)



万田坑内の重要文化財の施設を巡ったあと、広い敷地内を散策です。


石炭とボタ(混在している不燃物)を選別する選炭場の跡地、その先には炭鉱電車が展示してあります。
選別された石炭は、三池炭鉱専用鉄道三池港まで運ばれました。

馬車鉄道から始まり、蒸気機関車を経て、明治42年から専用鉄道の電化が始まったそうで、昭和12年にほぼ完成しました。昭和時代は、炭鉱電車は石炭だけでなく、物資の運搬や人々の通勤にも使われたそうです。

 

平成9年の三池炭鉱の閉山後は、一部が三井化学(株)の大牟田工場で物資の運搬用に使用されていましたが、令和2年に廃線となり、使用されていた炭鉱電車のうち12号機と18号機が荒尾市に寄贈されました。


✤寄贈された12号機と18号機✤


✤12号機とバッテリー車(右)✤


 

 12号機は1917(大正6)年製で、本線用電気機関車として1918(大正7)年に増備されました。1962(昭和37)年に電源車(バッテリー車)対応に改造され、電源車デ形とペアを組み、2020(令和2)年の三井化学専用鉄道廃止時には、宮浦駅~工場間を輸送していました。


✤大型の18号機✤


 

三池炭鉱では昭和になると本線の輸送量の増加等に伴って大型の電気機関車(17~19号機)が導入されました。18号機は1937(昭和12)年に芝浦製作所(後の東芝)で製造され、2020(令和2)年の三井化学専用鉄道廃止時には、19号機とともに宮浦駅~仮屋川間を輸送していました。

内部も見ることができます。



しばらく進むと、蔦のからまる廃墟が。

✤荒尾アソニット工場跡✤
昭和38年、458人の犠牲者を出した「三井三池三川炭鉱炭塵爆発事故」の遺族に職を斡旋するためにつくられた繊維工場。
とはいえ、保障は薄く、労働条件も劣悪だったそうです😢


✤第一堅抗跡✤


抗口跡も残っています。


✤デビーポンプ室跡✤


✤配電所(変電所)跡✤


この辺り、絵になりますね😃


記念撮影スポットです。

ぐるっと一周してきました。

この煉瓦の壁は石炭を燃やして蒸気を発生させていた「汽罐場」の壁です。

大正末期までは、動力となる蒸気を各施設に送っていました。


✤汽罐場跡✤
奥に煙突の跡が残っています。


ここでぽよん夫婦、まだ行ってない施設があることに気づきます。ここ、見落としがちなエリアかもしれません。

芸術祭リーフレットの地図が、位置関係がとても分かりやすかったので載せておきます。この地図でいうと右側の端の方、「職場」のエリアです。
そうそう「沈殿池」も見逃してました😭
坑内から排水される水を一時的に貯めて、石炭の粉などの不純物を沈殿させるための池なんだそうです。


✤職場✤
坑内の機械や設備を修理するための施設です。



たくさんの機械が残っていました。


職場から事務所、第二堅抗櫓をのぞむ


帰りに「桜町トンネル」に寄りたかったけど、時間なくてパス。
この先に長さ130mのトンネルがあるようです。トンネルを抜けると大牟田市なんだそうですよ。現在は、安全確保のため入口を塞いであるようですが、かつては駅や商店街へ繋がる生活通路として、多くの人々が利用したそうです。


そして、近くには、
ぽよん大好き観光案内所「まるごとあらお物産館」があり、特産品やお土産品、炭鉱ならではのメニューを揃えたカフェも併設されているようでしたが、行けませんでした。
また、無料で入れる「万田炭鉱館」もあります。「万田坑ステーション」にも、無料で見れる展示物や映像上映があり、映像見るのが大好きな夫が、めちゃめちゃ残念がってました😥

やっぱり、ここだけは一日かけて来るべきですね。万田坑、有料ですし😁
次回、荒尾の旅の機会があれば、
周辺施設に寄れたらなと思っています。


大体、昼ご飯食べてから回るには欲張りすぎましたね。三池港方面まで回りたいのに、関連施設の16:30までに入館制限はきつい😣

せめて午前中から回らないと無理なプランでしたね。しかも、けっこう暑くて歩くのきつかったし😂

でも、まだまだ続きます。
気を取り直して、
三池港へ向かってGO〜🚗🚗🚗