3つ目の神社は、なかなか分かりにくい場所にありました。


 門神社


門(かど)神社は、
十数戸の門部落の氏神様だそうで、
すぐ隣は民家です。
そっと参拝させて頂きました。


門神社は、もともと様々な神が祀られていましたが、その中に「島原・天草一揆」の際にこの地に逃れてきたキリシタンを重ねて祀ったと伝えられています。大野集落では、各家に神様として石を祀ったり祠を建てている所が多く、現在は門神社に集めて合祀されているそうです。



たくさんの神様の中にキリシタンを祀ることで、密かに信仰の対象とした神社なのですね。
大野に逃れてきたキリシタンは、本田敏光という人だったそうですが、
潜伏キリシタンたちは、その祭神を
「サンジュワン様」と呼んでいました。
その由来は諸説あるようですが、ヨハネ(ジュワン)という洗礼名を持つ殉教者を指しているとも言われています。
(また、ポルトガル宣教師「サン・ジワン神父」を祀ったとされる枯松神社というキリシタン神社も、外海地区には存在しています)
いわば伝説の人であり、サンジュワンは次第に抽象化され、各地にその名が残りました。
平戸の生月島では、聖地中ノ江島のことを「サンジュワン様」とも呼んでいたように、信仰の対象の呼称として広く伝わっていったようです。

手水鉢の側に無造作に置かれた石も、
昔、村人の家に祀られていたものかも。


こちらの祠は「金守神社」と彫られています。


こちらは「サツマノ人」と彫られています。薩摩出身のどなたかを祀ったのでしょうか。

社格の高い大野神社、

小高い場所にある辻󠄀神社、

集落にある身近な門神社、

それぞれとても興味深かったです。


外海地区は、地形的に隠れ住む場所に適していたこと、稲作に向かず港もなく、経済的に発展しにくかったことから、貧しい中の精神的な支えとなったことなどから、キリシタン信仰が根付いたと考えられるそうです。


また、隠れキリシタンの指導的立場であった伝道師バスチャンの存在も大きかったと言われています。


次は、そんな伝説の日本人伝道師

バスチャンが隠れ住んだという屋敷跡を訪ねます。