♢1月9日(月) 成人の日♢


久しぶりに、長崎市の外海地区を巡ってきました。

集落を散策するのは、2019年の夏以来ですよ😃


世界文化遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の12の構成資産のうち、潜伏キリシタンが何を拝みながら信仰を実践したのかを示す4つの集落があります。

◇平戸の聖地と集落

◇天草の崎津集落

◇外海の出津集落

◇外海の大野集落


平戸と天草は一応ブログに書いてるものの、外海に関しては、当時やる気無しだったのか、写真をちょっぴり載せただけで、なーにも書いてないんです。

なので、一部端折りながらではありますが、この二つの集落を記事にしていこうと思います。


◇外海の大野集落 



    

「外海の大野集落」は、神社にひそかにまつった自らの信仰対象を拝むことによって、信仰を実践した集落です。


表向きは神社の氏子として振舞いながら、密かに信仰を続けたわけですが、

そんな大野集落にある三つの神社を訪ねます。また、大野集落は特徴的な石積みの景観も見られる地域ですので、そちらも少し撮影してくることにしましょう。



こちらの案内板をもとにまわってみることに。
とはいえ、この地図ではなかなか分かりにくかったです😅 途中迷ったりもしたので、順番通りとはいきませんでした。

①草木田の水場(カワ)


大野岳に広がる玄武岩の亀裂から流れ出る地下水は、斜面の数か所で湧水として現れました。

生活水として湧水をためる場所として、石積みで築かれた水場が作られました。※地元ではカワと呼ばれた

上下水道が普及する昭和30年頃まで利用されました。現在は農作業などに使用されています。


②上越首の水場(カワ)


大野地区で最も古くからある水場で共同井戸と呼ばれていました。

禁教令が解かれた明治期では、キリスト教に復帰した者は使用が禁じられるなど、集落の歴史を表すものです。


それではまず、「辻󠄀神社」


③辻󠄀集落の石階段


明治期からみられる里道で、大野岳に広がる玄武岩を用いた石階段。

現在は一部コンクリートで固められています。階段沿いにはネリベイ建物の跡の分布が見られます。

※ネリベイとは・・・

結晶片岩の石に赤土と藁すさを練り込んだ伝統的な石壁工法。


大野集落は、サツマイモ栽培が盛んで、石積みの段畑が築かれました。


せっせと上ります。



辻󠄀神社




扁額は「八幡大菩薩」
神仏習合にキリシタン信仰が重なった
稀有な神社と言えるのかも。


木の鳥居が・・・
貫が壊れて、傾いてる😰





辻󠄀神社は、江戸時代に書かれた大村藩の記録書にも記されており、古来の自然信仰に基づく山の神を祀った神社です。潜伏キリシタンたちは、密かにその祭神を自分たちの信仰対象に重ね、祈りを捧げました。


内部の様子
丸に三文字の紋は石祠にも刻まれています。由来を知りたかったけどよく分からず。山の神である「大山祗命」をまつる三島大明神からであろうと書かれている方がおられましたが・・・
「山(さん)」にかけた「サンジュワン様」の暗号?だったら面白いのに。
と、思ったワタシ🤭


夫婦和合のかわいらしい石像がありました。仲良く肩寄せあって、しっかりと手を握り合っています。
夫婦円満でいたいものですね☺️


すごい!樹洞というには、すでに穴じゃない😲



辻󠄀神社は山道を上り、木々に覆われた分かりにくい場所にあるので、キリシタンがひっそりと祈りを捧げた光景が浮かんで来るような気がしました。



神社に向かう途中で見た角力灘
少し霞んでたのが残念


神社あと二つと、
禁教令が解かれた後に建てられた
大野教会堂は次の記事で。