弥生人はイケメンだった? | オトコ・・時々真理子

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いくつになっても女装やめられません。
そんな私の女装心を綴ってみました。

鳥取県の東部に青谷上寺地遺跡という弥生時代の遺跡があって、

 

「あおやかみじち」と読みます。

 

ここは20年以上前に見つかったのですが、なんと100体もの人骨

 

が出てきました。おまけに3人には脳まで残ってたんです。

 

さらにさらに糞まで出てきたもんだから、弥生人たちが何を食べ

 

てたかの手がかりもつかめたんです。

 

ここ青谷の地は海と山の幸が手に入って、しかも稲作も行われて

 

たから、結構豊かな地だったんでしょうね。

 

これらを元にDNA分析をして弥生人のことがちょっとばかしわ

 

かるようになって、3月に「青谷かみじち史跡公園」としてオー

 

プンしました。

 

 

そこの目玉がDNAを元に復元された弥生人です。

 

名付けて「青谷上寺朗(あおやかみじろう)」

 

 

彫が深くてイケメンとは思いません?

 

アップにしてみます。

 

 

隣の少年は、女性かと思って復元してしみたら実は10代の少年だ

 

ったというオチがあるけど、こちらも聡明そうですね。

 

今の日本でもどこにでも居そうです。

 

それもそのはず。DNAを細かく解析してみたら、

 

青谷の弥生人は、「渡来系」と「縄文系」の混血でした。

 

 

しかも、

 

 

今の日本人とほとんど重なってます。

 

この頃には今の日本人がほとんど出来上がってたんですね。

 

弥生犬の骨も見つかりました。しかも60体も。

 

 

耳が立ってて、しっぽもくるっと巻いていて、まるで柴犬にそっ

 

くりです。女の子の服装も着物の原点に見えますね。

 

ここでは管玉(くがたま)なるものも作ってました。

 

首飾りにしたんでしょうね。

 

 

この頃には石に穴をあける技術があったんですね。

 

原材料は何と北陸から輸入してました。

 

 

それを九州に持って行って、鉄器と交換して

 

 

さらにその鉄器を北陸に持って行って商売して・・・

 

 

青谷は交易の要衝の地だったんですね。弥生人って結構ダイナミ

 

ックだったんだ。

 

しかもこんな船で・・・

 

 

日本海はけっこうな荒海ですけどね。

 

昔の人って命知らずだったんだなァ~。

 

 

それと鳥取県西部にはもうひとつ

 

「むきばんだ遺跡」というこれも弥生時代の遺跡があります。

 

 

日本海を望む小高い丘にあって・・・

 

 

大山の麓にあるから、おそらくその昔の渡来人たちは大山をラン

 

ドマークにしてやってきたのかな?

 

そしてここの古墳は「四隅突出型古墳」というもので、

 

山陰とか北陸にしかないから、なんかロマンを感じますね。

 

 

卑弥呼よりもさらに昔の人たちの息吹が聞こえてきそうですね。

 

「青谷かみじち史跡公園」に戻すと、

 

 

弥生の田圃とかもあって、弥生時代の風景が広がっています。

 

 

弥生の人たちがとっても身近に思えてしまいました。