平安貴族の夏衣類・オッパイが透けて見えます、良い時代でしたね。
あるところの準備途中の原稿を一部流用です・
読む価値ありません、スル―して下さい
「柞の森」の意味と和歌
・・・『ははその森』・・・鉄道唱歌関西の7番
柞の森と歌によむ 祝園すぎて新木津の 左は京都右は奈良 奈良は歸りに殘さまし
戦前の小学生は意味を教えられて歌っていたのす、今は大学生でも意味知らないでよう。
知る必要は全くありませんね、興味持った人だけの無駄な歴史の一部です
「柞」と書いて「ははそ」「さく」と読む、パソコンでは出ない漢字です。
「ははそ」とはナラやコナラやクヌギなどの落葉樹の総称、
里山にはありふれた樹木であり、団栗のなる木椎茸栽培の原木には最適である雑木林の「雑木」と思われる。
しかし和歌の世界では、歌の素材としてよく選ばれた。
多くの場合は里山の雑木として、雑木林を構成して和歌の世界では「柞の森」とか「柞原」と表現される。
また「柞」が「母」と同音を含むため、母の象徴として詠まれたりした。
イ 時ならで柞の紅葉(もみぢ)散りにけりいかに木の下さびしかるらん
(拾遺集 哀 1284)・・しゅういわかしゅう
ロ 山寺の柞の紅葉散りにけりこのもといかに寂しかるらん
(後拾遺 哀 555)
イ には、「夏、柞の紅葉の散りたるは、女五の内親王のもとに」という詞書きが添えられています。
これは村上天皇の御製で、更衣の源計子が予期せずになくなったため、第五皇女盛子内親王に贈った歌。
要するに、突然の母の死を悲しむ娘を慰めようと、父が贈った歌なのです。夏というのに柞の紅葉というところに、その突 然さが表れている。
実際、夏に紅葉するかと観察したところ、確かに部分的にそのようなことはありました。夏に柞が散るということに、母の 突然の死を暗示させているのです。また「木の下」は「このもと」と読ませ、「子の許」を掛けています。
このように柞が母を連想させ、柞が散ることが母の死を象徴しているという
ロ には「親亡くなりて、山寺に侍ける人のもとに遣はしける」という詞書きが添えられている。
詠み人知らずであるため誰の歌かはわかりません。喪に服すため比叡山に籠もっている人への、弔問の歌なのか・・。で しょう。
両者が極めてよく似ているのは、村上天皇の御製が流布した、
または当時そのような詠みぶりが慣用的(いまの流行か)になっていたからと考えられます。
――・――
「柞の紅葉」と詠まれているが、柞のもみぢは実際にはどんな色か。
確かに「紅葉」と言える程の色変わりは少なく、「黄葉」の方が多いようだ。
発芽して1~2年くらいの若い柞は、楓と同じくらい美事に赤くなる。
生長すると楓ほど赤くはなく、銀杏程に黄色くもなく、穏やかな色に染まる。
・・・
万葉人のように、どこにでもありそうな里山の柞のもみぢも、古人の柞理解を踏まえて見れば味わい深いものがあるでしょう。
皆さんは母さんのことを思い浮かべながら、柞のもみぢをしみじみと眺めて下さい。
参考・・・皆さんの参考で、私は読んだことも、読みたいとも思いません。
「古今集から新古今集」なら”八代集”です。
勅撰和歌集には、成立年代順に905年延喜5年~1439永享11年までの
534年の約5世紀の間に21集があります。
古今和歌集・・112首
後撰和歌集 1426首
拾遺和歌集 1351首
後拾遺和歌集 1220首
金葉和歌集 677首
詞花和歌集 411首
千載和歌集 1286首
新古今和歌集 1981首
新勅撰和歌集 1376首
続後撰和歌集 1377首
続古今和歌集 1925首
続拾遺和歌集 1461首
新後撰和歌集 1612首
玉葉和歌集 2081首
続千載和歌集 2148首
続後拾遺和歌集 1355首
風雅和歌集 2211首
新千載和歌集 2364首
新拾遺和歌集 1920首
新後拾遺和歌集 1554首
新続古今和歌集 2144首
総称して「二十一代集」とも呼ばれて、成立年代に、
三代集(古今・後撰・拾遺)八代集(古今~新古今)十三代集(新勅撰~新続古今)と分類することがある。
私の感想は・・読んだ人も選んだ人も飽きずに良くやったなあ・・
ヒマな貴族サン達です。