こんばんは、不動産芸人のぺんとはうす・世良です
毎日更新39日目、めざせ10000日
今日も、元トップ営業マンが街の不動産屋で普通にアルバイトをしてみたときの記憶をそのまま書いていきたいと思います。
昨日の続きからですので、昨日のブログをお読みでない方は、先にそちらをお読み頂けますと幸いです
『元トップ営業マンが街の不動産屋で普通にアルバイトをしてみた』
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12594359708.html
さて、面接の途中で、社長さんが現れました。
「君が世良くんか!君のことはさっき電話で軽く聞いたよ!○○不動産をやめてお笑い芸人になってすごいな!君は挑戦しているな!」
そう言うのですが、僕は壁に貼られた、社長さん直筆の決意が気になって仕方ありません。
とにかくずっとゾワゾワしていました。
これから、時給の交渉をしなくてはいけないのですが、それよりもこの挑戦の二文字がおもしろくて仕方ありません。
小学生のお子様が書かれたようにしか見えませんが、右下にはしっかりと社長さんの名前が書かれています。
僕は、この『挑戦(ちょうせん)』が貼られたオフィスでこれから働くのかと思うと、興奮が止まりませんでした。
「ぜひ、ここで働かせて頂きたいです!」
自然と言葉が出ました。
一応時給の交渉はしましたが、1,200円までしか上がりませんでした。
とりあえずは1,200円でスタートして、頑張り次第でこれから上げていくとのことでした。
先に言っておきますが、これから僕はこの会社で1年半働きますが、時給は1円も上がりませんでした。
というのも、時給を上げてもらえそうなタイミングは何度かあったのですが、時給を上げてもらおうとしませんでした。
時給ではなく、なるべく出来高制にしてもらうことにしたのです。
一年半の間に、結構それで稼がせてもらいました。
どうせ週2~3回しか働けなかったので、ヘタに時給を上げもらうよりも、そっちの方が僕にとっては好条件だったのです。
というわけで、とにかくこの日、僕のバイト先が決まりました。
当時、この話をいろんな人にすればするほど、すごく心配されました。
芸人からはめちゃくちゃおもろそうやんと背中を押してもらえるのですが、前の不動産会社の頃の同僚からは、反対意見ばかりでした。
世良ならアルバイトでももっといい会社で働けるはずだし、もっといい条件のところがあるはずだから、よかったら探してあげようか、とまで言ってくださった方もいました。
それでも僕は、この文字が頭にこびりついて離れないのです。
とにかくこの社長さんと一緒に働いてみたかったのです。
とりあえずこの不動産屋さんで働いてみる、と決めました。
それと同時に、変なプライドは一切捨てて働こうと決めました。
中途半端に、元トップ営業マンだったというプライドを持っていたら、得られるものも得られなくなってしまいます。
もう一度フレッシュマンに戻った気持ちで頑張ろうと決めて、最初の出勤日を迎えました。
最初の出勤日では、僕の研修が行なわれました。
まずは、先輩社員の方が物件の写真を撮りに行くので、そこで写真の撮り方を学んでくるように、とのことでした。
どうやら他社の物件を、自社の広告に掲載するために、写真を撮りに行くようです。
そんなことしてる時間あったらチラシでも撒いてりゃ自社の物件が増えるのにアホやなぁ、と思いましたが、変なプライドは一切捨てると決めましたので、口には出しませんでした。
ちなみにその不動産屋は、自社の物件というものを一つも持っていません。
いわゆる不動産業界における、客付業者と呼ばれる業態をとっています。
他社に頭を下げて、物件の情報をSUUMOなどの広告に掲載させてもらって、そこから集客をして、来客してくれた方に物件を紹介するという流れです。
僕のサラリーマン時代は、そういう業者から電話がかかってきて、物件を掲載させてくださいと言われたら、「無理です。」とだけ言って電話を切っていました。
お願いする側に自分が回ったのだと思うと、すごく楽しくなってきました。
とにかく、その先輩社員の後ろについて、自転車に乗って物件を目指しました。
そのときに気付いたのですが、その先輩社員は、自転車を漕ぐのがものすごい速いのです。
間違いなく、ババアが乗るレッツ4より速いです。
目的地に向けて、先輩の自転車は全力で突っ走っていきます。
途中で、工事をしている大きな空き地があったので詳細を確認したかったのですが、そんなことをしていれば先輩に置いていかれてしまうので、一生懸命追いかけました。
信号待ちのときに、さっきの空き地は何が建つ予定なんですか?と先輩に聞いてみたら、そんなのあった?気づかなかったよ、と言っていました。
「お前は不動産屋だろう馬鹿なのか、でかいマンションが建つかもしれないだろう、そんなに急いで目的地ばっかり見ててどうするんだもっと街を見ろよ。」と言いそうになりましたが、変なプライドは一切捨てると決めましたので、口には出しませんでした。
物件の現地に着くと、先輩が写真を撮りながら、いろいろとコツを教えてくれました。
これは、非常に参考になりました。
いままでの僕の場合は、自社のみで取り扱う物件ばかりだったので、あまり写真の精度にはこだわっていませんでした。
物件がよくて、価格さえ安ければ、自然とお客さんは集まってくる、と思っていました。
もちろんその通りではあるのですが、もっと綺麗な写真を掲載することで、問い合わせの数は増えるし、物件の所有者にも喜ばれていただろうと思います。
写真撮影の技術を教えてもらったのは、本当に有益でした。
先輩、ありがとうございました。
写真を撮り終えてから会社へ帰りましたが、帰り道も先輩は、ひたむきにまっすぐ前を見ながら自転車を漕いでいました。
これは嘘ではないのですが、先輩は、車道を走るワゴンRとしばらく並走していました。
どんだけ速いねん!不動産屋やめて競輪選手なれや!と思いましたが、口には出しませんでした。
会社に戻ってからは、写真の加工の仕方などを教えてもらいました。
めっちゃ頑張っていい写真に仕上げてるけど他社の物件やんけ、自社で物件預かる努力せえよ、と思いましたが、変なプライドは一切捨てると決めましたので、口には出しませんでした。
変なプライドは一切捨てると最初に決めておいて本当によかったです。
この日の研修は、これくらいで終わったんじゃないかと思います。
それからも、何日かかけて研修をしてもらいました。
店長や副店長、主任という肩書きの方々が僕に研修をしてくれるのですが、どの方も少し遠慮がちに研修をしていました。
世良くんどうせ知ってると思うから、という前提で、勝手に割愛されたりします。
僕としては、しっかりと時間をかけて教えて欲しいのです。
僕がサラリーマン時代にいた会社は、後輩に教えるという文化がほとんどない会社でしたので、僕は不動産に関することをしっかりと教わったことがないのです。
先輩が電話をしている様子や顧客と話している様子を、横目で見て、耳をそばだてて聞いて、テクニックや言い回しを盗むしかなかったのです。
それを、丁寧に教えてくれるなんて、こんな機会は初めてです。
なのに、世良くんの方が知ってるだろうし・・・、とみんな恥ずかしがって教えてくれないのです。
こんなことになるなら、過去の業績を言わなければよかったと思いました。
とは言っても、いまさらもう遅いので、仕方ありません。
とりあえず、自分が知らなかったことは片っ端から質問するようにしました。
そうすると、すべて惜しげもなく教えてくれました。
そういう意味で、本当にいい会社であり、いい社員さんばかりでした。
なので、世良も知っている限りの知識は惜しげもなく教えてあげようと思いました。
ただ、これは正直に言わせて欲しいのですが、不動産の知識に関しては、ギブ9に対してテイク1くらいでした。
ギブ&テイクなんです。
ほぼ僕が与えてばかりでした。
誰一人として、不動産の知識がまるでないのです。
登記簿謄本の読み方すら、誰もわかっていなかったときはおったまげるかと思いました。
不動産屋ちゃうやん、毎日SUUMOを一生懸命見てる一般人と変わらへんやん、と思いましたが、とにかく良い人ばかりだったので、何も言いませんでした。
でも、賃貸の客付会社さんって、意外とそうなのかもしれません。
管理会社の特徴だったり、審査の通し方だったり、反響が来る物件の掲載の仕方だったり、物件を決めさせるテクニックだったり、そのような部分ばかりに特化している会社が多いのかもしれません。
それも、その不動産屋で働いてみて、初めて知りました。
ただ、賃貸の話の進め方などはその会社で教えてもらったので、いまの自分にとっても非常に大きな財産です。
何回かに分けて行なわれた研修も終わり、それからは普通に先輩のみなさんのサポートに回ることになりました。
たまに先輩のみなさんが手一杯で動けないときは、僕にお客さんを任せてもらったりもしました。
ちなみにそのときに任せてもらったお客さんは、全員成約してもらいました。
その不動産屋では決め率、というのをデータに取っていたのですが、僕は100%でした。
賃貸ってチョロいな、と思いました。
毎度おなじみの天狗モード突入です。
補足ですが、この賃貸に対する天狗モードは、一度も抜けることはなかったです。
というのも、僕の天狗モードが継続している最中に、この不動産屋で売買部門を立ち上げるという話になったのです。
そこで、僕に白羽の矢が立ちます。
というわけで、本日のブログは以上です。
明日も続きから書きますね
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