こんにちは、不動産芸人のぺんとはうす・世良です
毎日更新38日目、めざせ10000日
今日から、元トップ営業マンが街の不動産屋で普通にアルバイトをしてみたときの記憶をそのまま書いていきたいと思います。
もちろんノンフィクションです
不動産会社でアルバイトをしたいと思っている方に、参考にしてもらえましたら幸いです。
さて、僕は大手不動産会社に新卒で就職して、首都圏1位のトップ営業マンになって、さっぱり会社をやめてお笑い芸人になりました。
お笑い芸人になってから、最初は普通のアルバイトをしていました。
普通と言っても、ひと晩中パソコンと向かい合ってデータを入力し続けるアルバイトでした。
とにかく単調で、アルバイト中に寝てしまうこともありました。
週5日深夜アルバイトをして昼間は芸人活動をするというリズムに僕の身体が限界を迎え、体調を崩して、バイト先の社員と大喧嘩になってやめました。
二度とお笑い芸人なんて雇わないと言われました。
僕のせいで、お笑い芸人と言うだけで不採用になる会社を作ってしまいました。
ごめんね、後輩たち
それから、コンビニの夜勤をしていたときもありました。
これもとにかく単調な作業の繰り返しの割にはやることが多いし、あんまりやる気が湧きませんでした。
やる気が湧かなさすぎて、10時間勤務のうちの3時間は爆睡していたら、店長にバレて大喧嘩になってやめました。
二度とお笑い芸人なんて雇わないと言われました。
僕のせいで、お笑い芸人と言うだけで不採用になる会社を作ってしまいました。
ごめんね、後輩たち
ピザの宅配なんかも少しだけやりましたが、忙しかったのでシフトを2週間ほど出さないでいたら、店長と大喧嘩になってやめました。
二度とお笑い芸人なんて雇わないと言われました。
ただ、そう言い放ったそいつに人事権なんてものはありません。
よかったね、後輩たち
このときの僕は、お笑い芸人の仕事とまったく関係のないアルバイトを、ただ日銭を稼ぐためにしていることが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
そこで、どうせアルバイトに時間を割かないといけないのなら、本業の芸人活動でプラスになるようなアルバイトをやろうと思ったのです。
テレビのオーディションなどを受けに行くと、僕がもともと不動産の営業マンをやっていてトップ営業マンだったことを話すと、それのことばかり質問されます。
そのときに、いまも現役で不動産会社で働いていた方が、本業の芸人活動をやっていく上でも箔がつくなと思ったのが、不動産のアルバイトを始めたきっかけです。
ちなみに、不動産芸人の肩書きを名乗り始めたのはその頃です。
これだけいろいろな芸人がいる中で、不動産芸人という肩書きは誰も名乗っていなかったのです。
となれば早速行動に移そう、ということでアルバイトの求人サイトで不動産業の会社を探しました。
コンビニやカラオケほど多くはないのですが、何件かヒットしました。
時給で見ると、一番高いところで1,600円、一番安いところで1,200円といった感じでした。
これは、宅建という資格手当もコミでの金額です。
正直、安すぎると思いました。
とりあえず面接の予約をして、その場でこちらの経歴を伝えて、ちゃんと会社のために稼ぐから時給を上げろとふっかけてみることにしました。
どうせなら最初から時給が高いところの方が、最終的に上がった時給も高くなるだろうと予測して、時給1,600円の会社に面接を申込みました。
思い切って、時給2,000円まで上げてもらえることを目標に、面接に臨もうと決めました。
そして迎えた面接当日、大寝坊して面接に行けませんでした。
自分が朝激弱男だと言うことを忘れていたのです。
電話をして、平謝りをして、面接を再セッティングしてもらおうかと思いました。
ただ、よく考えてみれば、僕は時給を上げろとふっかける予定なのです。
平謝りをしてしまえば、こんな交渉が通るわけがありません。
そう悟った瞬間に、僕はこの会社でアルバイトをすることを諦めました。
いま思えば、学生時代に一番行きたかった不動産会社の二次面接も大寝坊して諦めます。
一次面接は、それはそれはとにかく手応えがあったのに、です。
あのとき起きられていたら、僕の人生は大きく変わっていたかもしれません。
ただとにかく、僕の朝激弱男な部分はまったく治っておらず、このときもしっかりと大寝坊をかまして、面接をすっぽかしてしまったので、採用してもらうことを諦めたのです。
そうなってくると、次の会社を探さなくてはいけません。
そんなときに見つけたのが、どこにでもあるような街の不動産屋さんでした。
僕がその不動産屋さんの求人に惹かれた理由は、神保町花月という吉本の劇場がとにかく近かったためです。
その当時、神保町花月の若手ユニットに所属しており、出番が多かったので、そもそも神保町にいる機会が多かったのです。
この不動産屋さんで働けば、劇場出番の前後などでもアルバイトをすることができる、と思って、面接を申込みました。
ただ、そこの求人は、時給が1,000円での募集でした。
低すぎるだろう、とは思ったのですが、僕が面接の時にしっかりとふっかければ時給も上がるだろうと思って、そんなに悲観はしてなかったです。
なによりも、劇場から近いというメリットの方が大きく感じられていました。
面接を申し込んで少ししたら、その不動産屋さんから連絡があり、面接の際には履歴書の他に職務経歴書を持ってきて欲しいとのことでした。
そのときに知ったのですが、職務経歴書というのは、自分がいままでどのような業務をしてきて、どのような結果を残してきて、どのような業務能力を持っているかといったものを記載する書面のようです。
着飾らずに普通に書きました。
あと、もともと面接の時間をお昼にしてもらっていたのですが、夕方に変えてもらいました。
朝激弱男が発動したときへの保険です。
そして、面接当日は、さすがに定刻通りに到着することができました。
おそらく年齢は30代くらいの店長さんが来て、面接が始まりました。
その店長さんが名刺をくれたのですが、とんでもないキラキラネームでした。
暴走族が作ったような、当て字でした。
おったまげました。
とりあえず、平然を装って、職務経歴書を出しました。
おったまげられました。
ちょっと待ってね、と言われて、店長さんが裏に引っ込んでいきました。
裏の方が、ざわざわしだしました。
あとで聞いたら、初めて求人サイトにアルバイト募集を載せてみたら、とんでもないやつが来たというざわざわだったみたいです。
あの大手不動産会社で働いていた人間がアルバイトでうちの不動産屋に!?新人表彰を受けてる!?2年目に首都圏1位の営業成績のトップ営業マン!?いまは吉本興業でお笑い芸人をやっている!?本当なのか!?嘘をついてるんじゃないのか!?
というような、ざわざわが止まらなかったようです。
一方その頃、僕は僕で待たされながら、さっきもらった名刺を見返して、
漢字三文字でムサシって読むの!?昭和生まれでキラキラネームっておるの!?誰につけられたん!?こんな名前が書いた名刺渡したら仕事に支障きたさへん!?
と、こちらもざわざわが止まりませんでした。
しばらくして、店長さんが戻ってきて、面接は再開されました。
詳しくは覚えていませんが、当時の不動産会社で一番つらかったことや、営業する際に心がけていることなどを聞かれたような気がします。
最終的に、10年に1人の逸材がきた、と言って頂きました。
人生二回目の、10年の1人の逸材、頂きました
面接もある程度終わって、落ち着いてきた時に、こちらから時給について話を切り出しました。
社長がもうすぐ出社するから、条件面はそのときに話してとのことでした。
サラリーマン時代は大きな企業にいたので、社長との距離が近くて風通しがいい企業だとすごくいいんだろうなとそのとき思いました。
しばらくすると、上下ジャージを着た、休みの日の現場作業員みたいなおっちゃんが大きな声を出しながら現れました。
社長さんでした。
キラキラネームの次は、現場作業員です。
おったまげました。
いままでの不動産会社の社長という概念をすべてひっくり返されました。
ふと、事務所の壁を見ると、なにかが貼ってあるのに気づきました。
社長さんが、今年度の決意をしたためたとのことでした。
これは紛れもなく、社長さんの直筆です。
A4の普通紙いっぱいに、力のこもった筆跡で書かれていました。
これが、壁の目立つ位置に貼られているのです。
おったまげました。
なぜ、自分の決意に、ふりがながいるんでしょうか。
震えが止まりませんでした。
これは、すごい体験ができそうだ・・・!
そう思ったのを今でも鮮明に覚えています。
さて、このあと僕の時給交渉は通るのでしょうか?
かなり長くなってしまったので、続きはまた明日です
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