いい母ちゃんってなんだろうと思う。子供らから他の家の母ちゃんの話を聞くと驚くことがたくさん。


 やれ、子供の車の送迎を毎日欠かさない母とか、完璧な配膳をして決まった時間に食事を準備してくれる母とか、子の進路を決めてくれる母とか。(時に父親も登場するが、うちに限って言えば断然母ネタが多い。理由は知らん。)


 申し訳ない、我が子たち…。私には無理だ。


 私は保健師にも説教食らうぐらい、我が子に母乳を与え続けた母親だった。だって欲しがるんだし、自由なお乳が二つもくっついてるんだからあげればいいやん。と思った。


 今となってはレジェンドとして表彰されてもいいが、第一子は5歳、第二子は4歳、第三子も4歳頃まで乳にぶら下がっていたと思う。


 単に卒乳をサボった「ずぼら母」と言われたらそうだけど、私も一応それなりに書物を学習しての結論として、欲しがる限り与えるという選択をした。


 (卒乳に関してはこの場でいつがいいかなど議論はしない。正直よく分からないからね。)


 ともかく、自分の考えるように多少権威とバトルしてでも育ててきたような気がする。子供はいずれは手元を飛び立つ。だからその時に自力で這い上がれる強さをもってほしいと常に思う。


 (おかげで最近は五文字以内の返信しかしない就職後の息子のことはここではもう議論しない。)


 私の育った環境は、それなりに厳しかったけど、ご飯は普通以上に成長するぐらいは食べれたし、洋服も着せてもらった。そして親が仕事だらけで子を見ていない分、かなりの自由を与えられた。


 家が嫌だったらどこまでも川辺でぼーっとできたし勉強しろとか言われたことは一度もない。真夜中にスナックから帰ってきては子を起こし、深夜1時の資さんうどん(←要検索)に娘を連れていく母だ。(正直、今思うと幸せな時間だったとすら思う。)


 そんな親だから子はこのままじゃあかんな、と自然と切迫感を感じ、生きるために勉強する。地域で一番の難関の公立にも入ったし(当時はけっこう真面目でした。へへ。)自分のお弁当も自分で作るし、大学に入ったときに出来ないことは何もなかった。(そのあと遊びまくった!)


 幸いだったのは、育った環境に現代のように悪い大人と出会うチャンスが転がっていなかったこと。そこが神様に感謝すべき最大の強運だったと思う。


 今の時代は、ほんまに子供には厳しい。私が泣きながら山のてっぺんの神社に駆け上がっていた年齢で、今の子供らはSNSで簡単に悪い大人に出会ってしまう。そして取り返しのつかない世界に足を踏み入れてしまう。娘からそちらの世界に入っていった友人の話を聞くたびに切なくてならない。


(ほぼ食材確保係として歌を捨てている現在)



 今、深夜1時を過ぎている。実は、さっきまでたらたらと娘としゃべっていた。明日は学校なんだけど、おしゃべりする時間は遅刻云々以上に大切だと私は信じている。子供がしゃべりたいだけしゃべらせて、納得すれば眠ればいい。


 ネタは男の子の話から宇宙創世まで。私が酔っぱらうと子供はこれでもかと色々話をしてくる。きっと覚えていないとでも思っているんだろう。


 明日はもしかしたら母ちゃんは朝起きれないかもしれないけど、きっと娘らは自分で起きてとっとと自分で朝ごはんを食べていくでしょう。


 こういう時間を持ててほんまに幸せやなぁと思う。たくさんの過去を振り返ったら、苦しみと悲しみの間に見つかる幸せたちのどんなにか美しいこと。


 やっぱり死ななくてよかった。(殺されなくてよかった…とも言える☺️)人生って捨てたもんじゃない。


・「むっちりのほうが男は好き?」だとか「宇宙創世」娘がきく深夜


じゃあまたね👋

今、ここが天国。


追記:翌朝起きた。低血圧で動けんかったが。