今、高速バスに乗って名古屋市に向かってる。短歌のイベントが瀬戸市であって、それに出席する前にあわよくば大好きな永井陽子さんの生まれた町も歩こう、という強行スケジュールを組んだ。



(甲南パーキング 甲賀忍者の町)


 車窓から青い空を眺めながらつくづく短歌に出会ってよかったと実感している。


 46歳で短歌に出会わなかったら、たぶん50代でこの世にお別れしていたか、または得体の知れない空洞をずっと身体の真ん中にあけたまま生きてたんじゃないかな。


 短歌の最大の効能は、セルフヒーリングだと思う。真言宗の光明真言↓


「おん あぼきゃ べぃろしゃのぅ まかぼだら まに はんどま じんばら はらはりたや うん」


 これもほぼ短歌のリズムであるように、(真言の意味と効果はご検索下さい。)短歌のリズムには魔法があるようだ。


 このリズムで言葉をつむごうとすると、音韻は心の一番深い本音の部分を露にするし、そうして出来上がった一本の糸は読み手の心の底に優しく、時には厳しくしみわたっていく。


 このリズムには、嘘がつけないのだ。


 悲しい心は悲しい糸を、優しい心は優しい糸をこの音韻はつむぐ。いーとーまきまき…の歌のように。これに出会わなかったらわたしは押さえつけていた記憶にいつか殺されたと思う。


 そういう意味では31音は、5年前にはじめて受けた胃カメラ級の効果をもたらした。あれで病気を見つけなかったらこれまた55歳あたりで癌と戦った可能性が高い。。(中年のみなさん、胃カメラは受けましょう!自覚症状なかったですぜ、当時。)


・胃カメラをグブリ飲むとき思い出す強制給餌のフォアグラたちを


 28年の時を経て、ようやく迎えに来てくれた短歌は、最初は過去の記憶の一部を露にして、たたり神みたいのが飛び出してきたけど、そのあと一気にかさぶたをえいやーっと剥いでしまえば、今は新しいつるつるした皮膚がなんだか愛おしい。


 歌神さま、あなたはこれからどこに、私を連れていってくれるんでしょう。


 人は、やっぱり生きてみるものやね。




 

 人生らくありゃーくーもあるさーー。

 (これ知ってる人↑、あんた昭和生まれやろ)


・一足の靴の揃った屋上の揃ったままの靴の一足


じゃあまたね👋

今、ここが天国。