心の花の125年記念会は無事に終了した。あれだけ盛大な会にするんだから、相当な準備があったと思う。担当してくださった方々の苦労を考えると頭が下がる思いだった。





 そして私は今回、はじめての参加ではじめての授賞式に臨んだ。そこまではどうにか笑顔でいたけど、その後は出席の方々の短歌への愛にすっかり圧倒されて、予想通り途中から呼吸がしんどくなって廊下に出て一人静かに中の話を聞いていた。


 人群れで苦しくなるこの症状は治ることがあるんだろうか。(その後無事に大阪に戻ってきました。緑だらけさ、ここ🌿。)


 さて、我が家では自分で散歩できないフウタのために、またもや夫が帰ってきてくれていた。いろいろ話していると、やっぱり40代後半になると仕事の量が半端じゃなくて、それに責任と家事の負担が加わって、ほんまに大変そう。


 夫は短歌の事はほとんど知らないけど、私の短歌の第一読者であり、最強のファンでもある。だから短歌に関するイベントがあると、なるべく行っておいでと送り出してくれる。


 けれども、休めば休むほどその後の仕事は濃さを増すし、家にいる間も常にひっきりなしにやってくるメールの処理に追われることになる。


 ほとんど笑顔が出なくなった夫を見ていて、この人消えてしまうんではないか、と本当に心配している。


 家族全部をその肩に担いで、職場の責任もその肩に担いで、長時間労働で、それなのにいくつもの仕事の問い合わせは休むことなくやってきて、そして時に汚れた洗濯ものは自分で洗わなければならない。


 よくよく考えれば転職とか引っ越しとかいろいろ手段はあるんだろうけれど、今を生き延びなきゃいけないから、とにかく毎日毎日後ろから追い立てられるように責務をこなしている。


 「生きるために仕事していた」はずが、「仕事のために生きている」、という彼のセリフを聞いて、私は心が止まってしまった。


 こんなところで短歌なんてしてて良いのだろうか。けれども、子供たちは毎日なじみの学校に通っているし、根をはって生きている現実もある。それをここで支えるのも、私の仕事。


 言葉は無力だ。それなのに言葉しかかけられない時がある。


 職場では、最近二人が体を壊してもうじき一人離脱するそう。どうにかしてこの状況を打破して元の笑顔が戻ってきてくれますように。今は何よりもそれを一番に祈っています。会社よさっさと人を増やせっちゅうねん!


 今が踏ん張りどころや。


・君に向く東の窓のもうどこにも鈴虫たちの声は聞こえない


じゃあまたね👋

今、ここが天国。