18歳まで福岡県に住んでいたんだけど その後に 関西に出てきてからは 同じ場所に4年以上住むことがなかった。 


 大学生の時に神戸で阪神大震災があって、半壊のマンションを出て別のところに移ったり、就職した先が意地悪な先輩と一緒だったからすぐに引っ越ししたり(笑)、その後、結婚してからも転勤続きで 東京、大阪、札幌… いろんなところに住んだなあ。16回っけ?引っ越し。 


 その中で一番長かったのが ニューヨークだったんだけれど、だからこそ あの土地に残したたくさんの 記憶の数々は最高に楽しい反面、切なさが一杯詰まっている。 ひとつの人生がすっぽり入るぐらい苦労して、馴染んで、そしてさようならした友だち。


 今までも引っ越しを繰り返すたびにそれぞれの土地で友人たちが お別れ会をしてくれるたんだけれど、 新しい土地で孤独に耐えれなくなったころ、 必ず前に住んでいた場所に戻ってその友人たちに再会していた。


  すると、もうすでにその友人たちと自分との間に 若干の距離が生まれていることに気づく。 それは例えばその町にできた新しいショッピングモールの話だったり、その友人が新しく始めた仕事のことだったり小さなことなんだけれど 、一番悲しいのは 自分 が話すスピードと、友人の話すスピードに開きがあることに気づいた時。 


 引っ越し先に馴染めないと愚痴をこぼしつつも、 半年も経てば 自分は徐々に新しい土地の人間になってしまっていて、 以前住んでいた土地に残した友人とは 知らないうちに心が離れていたことに気づく。


  そういうことを何度も繰り返していくうちに、私はなるべくどこに住んでいても周りの人間 と深い友情を築かないように 心がけるようになった。 


 アメリカを離れる時に、ご近所さん全員でお別れ会をしてくれて、その時にお隣に住んでいた若いロシア人の女性が 私に抱きついてずっとわんわん泣き続けていたのが忘れられない。共にマイノリティーで、年の離れた姉妹のように仲が良かったからだ。そして、二度と会うことがないだろうとお互いにわかっていたから。


  誰かと仲良くなればなるほど別れの時が 辛くてたまらない。 それはおそらくその土地を離れた私よりも、その土地に残された友人たちの方がもっとずっと辛いんだと思う。


  それに気づいてから、 なるべく周りの人間に執着せず、どんな組織に入っても 一歩離れたところから人間関係を見つめるようになってしまった。 


 実はね、夫がまた転勤の話を打診されてたらしい。 今すぐというわけではないけれど、またいつか引っ越しの準備が始まるのかな。 

 

 その時に悲しくならないように、上手に距離を置いた人間関係の中で生きていかなきゃな、 と思っている今日この頃。 


 人間は 生まれた時も死ぬ時も、悲しい時も笑う時も、どこまでも一人なんだよね。



・孤独への迷いはあらず一輪の白蓮は立つ青き水面に


じゃあまたね👋

今、ここが天国。