中学の時にそこそこいじめに遭っていた。中学の時は、あの荒れた家を飛び出ることが人生最大の目標だったので、だからといって、グレてしまうと親に殺されそうだし、まっとうな方法で家を出るしかなかったから、めちゃめちゃ勉強をがんばっていた。  


 どうにかして大きくなったら奨学金をとって、家から出るんだーという目標のことだけ考えて、勉強していた。だから、そこそこ成績が良くて(その後はどんどん転がり落ちていくんだけれど)頑張っていた時期があった。


 でも、クラスにはうまく馴染めなくて、一番怖かったのがテスト返しの時。クラスで点数上位の方から順に名前を呼んで、点数を言いながら返していくのが私の時代の当たり前だったので、テスト後の数日間はいつも最初あたりに名前を呼ばれてしまう。


 そうするとその後に机に落書きがあったり、靴に砂が入ってたり、私物がなくなったりする。テストをもらって座席に戻るときに、「ガリ勉」とか、別の悲しいあだ名で呼ばれてクスクス嘲笑される。当時まだ今ほど強くなれなかった私は、その都度泣きそうだった。


 でも泣くとエスカレートするだろうから、爪を噛んで堪えてたわけだ。(お陰で爪半分サイズよ) 教師もニタニタ笑って放置だし、懇談じゃ「目立つから仕方ない」と親に言いよった!(未だ怒りがふつふつ😡)


 仕方ないので、ある日、職員室に行って、各教科の先生を一人ずつ回って、テスト返しの時に私の名前を呼ばないように、とお願いしていったのを覚えている。(その時のニタニタしていた先生たちの顔も覚えている😡) 


 それから30年以上経った今、短歌の大会でなぜだかわからないけれど賞をいただいて、その後、初めて行く歌会はめっちゃ緊張だった。


 事前に受賞についてコメントしますよ、と知らせを受けていたので、私はわがままだけれど、地味にしてくださいとお願いして、じっと頭を下げとけば良かったけど、どうしても建物に入るときに学生の頃に揶揄されたことや、その後のトラブルをふわふわと思い出して、心臓がドキドキしてしまう。


 いじめの記憶というのは、何十年たってもやっぱり悲しい記憶としてずっと心の底に沈んでいて、また同じことが起こるんじゃないか…(ほんまは大人の世界なので、靴に砂が入ることなんてないことだと思うんだけれど)…そうやって、警戒する癖ができてしまう。


 だから、歌会の建物に入る前に、なんとなく胃がひっくり返ったような感じなってしまった。


 こういう時、大切なのは別の自分を呼び出すことで、自分の中で「社交的な人間」像を作って自分の中でキャラを立ち上げて、それ通りずっと演じる。子供の頃からいろいろな顔を作って生きのびてきたから、こういうのって案外慣れている。


 でも、そのキャラで長時間、饒舌に喋ってしまったので、昨日はおうちに帰ると、ぐったり布団に倒れ込んでしまった。そのあと、本来の「牧草地帯のヤギ」のような私に戻るのにずいぶん時間がかかった。(大量のアルコールで記憶があまりない…。)


 どこの歌会に行っても、なぜか私はだいたい若い人の方になってしまって、(社会人になった息子がいるのにすごく不思議な感じがする)、しかも他の人たちはスクールとかいろんなところで知り合いがいて、お仲間になっている。


 ぽつんと1人でいると、ふっとクラス全員から無視されていたときの記憶が戻ってしまう。今更、と言われたらそうなのかもしれないけど、いじめに遭った人なら分かるよね。あの気分。


 やっぱり悲しい記憶というのは水の底に沈んだ小さな毒薬の瓶みたいなもんで、ある時つつくと中に入っている黒い液体がほんの少し水の中に漏れ出る。それが息苦しさを生み出す。そんな感じ。慣れなきゃいけないのはわかってるけどね。



(昨日のおみくじにも和合の心、と。神様すごい)


 と同時に、やっぱり歌のことを評価し合う仲間というのはとても大切。昨日もどれだけ先輩歌人さんから厳しくためになるコメントをいただいたか。


 だから、これからも拍手パチパチよりも、バチバチ愛の平手打ちされるような歌会が、やっぱり自分のためには一番必要なんじゃないかな、と思いました。なーなー歌会はあかん。


 それにしても、この対人恐怖はなかなかなもので、今回は大量の食料を買い込んで行って対処したけれど、ほんまは家で飼っている犬のフウタを膝に置いとけば最強なんだけど、さすがに犬はだめだよね。だめ?だめ? あかんか。


・薫らねば愛されぬかも百合の花それでも私は自由が欲しい


じゃあまたね👋

今、ここが天国。