アメリカにいた頃はノーブラだった。あまり露骨にツンツンの時にはタンクトップを着たりはしたけれど、基本的そのままに冬は黒いピチピチヨガパンツ、夏に袖のあるTシャツを着ることはまずなく、タンクトップと、お尻がどうにか隠れるショートパンツそれにビーチサンダル。それが育児中の普通のファッションだった。


 周りもたいていそんな感じ。そもそも暑いのに足隠すなんて、もしや皮膚病か?というノリだった。(現地の人たちがそう言っているのを聞いた。夏に完全武装の日本人見て私に聞いてきた。日焼け止め塗ればいいって発想ね、あちらは)


 私らファミリー、日本企業の現地駐在として暮らして、現地の普通の小学校に子供が通ってて、日本人社会から離れてたからさ、2年も経てばほぼ母子共々現地のアジア系アメリカ人になってるわけよ。


 だから、そんなファッションに違和感がないわけ、それとまあ言いにくいけど、アメリカでは私のサイズがなかなか見つからなかったという事情もある。すごいのよ、あちらのブラ売場って。帽子か?ってのがたくさん。


 最初から馴染んでたかってそんなわけはない。そりゃ、渡米の飛行機じゃ、「学校は英語系だったしTOEICすんげー取ってるし、ま、余裕っショー」とたかをくくっていた。バカだった。


 もちろん空港の方々、入国審査の方々は私のへんてこ極まりない英語に慣れているから聞き取ってくれる。それは、観光客相手の彼らだから。でも一旦、現地の普通の町にぴょんと入ったらそれはまるで練馬の商店街とか茨木のイオンと同じ(大阪の郊外ね)、こてこての書き下ろせない、流るるばかりの言語の嵐だ。ながるるるる。


 例えれば、私はビーチ沿いのホテルのプールで50m泳げました、ってその程度。そこからつまみ上げられていきなり沖合い、サンゴ礁の外側に落とされるわけだから、泳げるわけがない。浮かぶのが、いえいえ、沈まないのがやっとだった。猛烈に早い言語の波。

 ただね、真の敵は英語にあらずだったのよ。それは…


 ニッポンジン、たららーん!(アホやな、このノリ)一番辛かったのは日本人社会だったね。駐在マダムの世界。立派なヒエラルキーでしたわよ、それはそれは奥さま。(そうじゃないところもきっとある、きっと…)


 マダムの旦那様の所属している組織の大きさ、そしてその町に何年暮らしたかで入るべき階層が決まる。(そうじゃないところもきっとある、信じてるよ、ベイビー)


 で、私はどこ? はい、最下位。なぜなら、うちの旦那様、普通の会社員。有名な商社銀行外交官などではなく、一般の会社員。で、渡米一年目。最下位、けってーい!ところが、階層が決まる以前に、私は最大のミスを犯すこととなる。渡米1週間目にして。



(めっちゃ普通の母ちゃん、って感じよこれ。)


 ある時、現地小学校の日本人のママ一人からメモが来た。「何か分からないことがあれば遠慮なく聞いてくださいね。鈴木(仮名です)」それはそれは達筆な文字でメルアドと電話番号が書かれてあった

。メモを持ってきたママは多分、パシり。あとから考えるとね。


 遠くに日本人ママの8人ぐらいの集団が私をじっと見ていた。そこで、私は何を言ってしまったでしょうか…。はーい考えて!1、2、3…


 ザ、素直にこう答えました。「あ、英語はどうにか話せるので、大丈夫です。自分で聞きますから。(ビッグスマイル)」だってわざわざ文房具の買い方とか聞くの申し訳ないし、学校のプリントとか辞書使って読めばいいじゃん、そんな迷惑かけたらあかんわな、本音はそれだけやった。ところがそれを聞いたパシりの顔がひきつった。


 次の日から、私が校庭で(私の町では子供のお迎え親必須ね)こんにちはーって日本人のママグループに挨拶すると、2秒ほどの沈黙のあと小さく返事が返ってきてあとはささーーっと散っていく。「あひゃ?」空気読もうとパクパクする私。遠くの日本人の固まりの中心に鈴木さん。


 あー、そういうことか、その時わかった。そうなの、もっと泣きつくと期待されてたの、そして組織の一番最下位に入っていくと。


 でもなんか、変じゃない?同じ人間やで、困ったら助けるってそれでよくない?


 で、結局母ちゃんが最初にやらかした、ドッカーンのお陰で、子供らも徐々に日本人生徒の中で外されて居心地が悪くなり、母ちゃんは、必死こいて変な英語を使いながら現地のママたちとフレンドシップを築き、友人同志のプレイデイト(放課後一緒に子供を遊ばすこと。全て親の送迎管理下が常識。)をセッティングしたり、広い公園に連れてったり、宿題を手伝ったりして、アプアプして過ごしたのでした。


 時が経てばそれも慣れて、今も親友は遠くの国にいます。日本には親友はいません(キッパリ)。多分、嫌われている(自覚している)。転勤多すぎて、無理してママ友と繋がるのもやめた。


 そもそも奇人だし(木と話すし)、歩くの早いし、嫌なことは、言葉は選ぶけど、基本断る。ノーはノーと言う。私の人生だもん。なるべく迷惑掛けず努力して、でも迷惑かけたら、仕方ないじゃん。私も迷惑かけられてんのよ、誰かにはね。お互い様、生きてりゃ当たり前のこと。


 で、話をノーブラに戻すけど(戻さんでいいと思うよ、坊さん…)、洋服も基本好きなものを着たいのね、母だからとか、おばちゃんだからとか、女だからとか、関係ないじゃん。マナーを守っていれば良いと思ってた…んだけど、町の視線がさすがに辛いときがあってさ、地方都市だと。あいつバカちゃうか?的な視線ね。子供の真横で。


 それに反抗してまで洋服にこだわるのは、さすがに諦めました。帰国して2、3年を経たころにはもう、長いズボン履いて、タンクトップは薄い上着を羽織るようになりました。子供が私の外見で嫌な思いをするのはやっぱり母ちゃんは悲しいからさ。気が弱いのねガラスのハートよ(嘘っぽい)。


 だから、短歌のなかではガンガン脱ぐで。スッポンポンになりゃ良いって訳じゃなくて、思ってること、恋愛、性愛、何でも素直に歌おうと思っている。飾ってしまえばそれは嘘短歌。


 そうならないようにいつも歌を作るときは、素っ裸の自分になってそれをじっと見つめています。実際服を脱いで歌を作っているわけではありませんが。案外、それもいいかもね。(いいんかい!)


・主婦だから女だからが口癖の君に会う日のマニキュアは黒


ではまたね👋

今、ここが天国。